昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

いつも母が過去に綴った私の闘病日記を読んで下さりありがとうございます。

このブログは約40年前に母が綴った肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症で生まれた私の闘病を綴った日記を。

母の許可の元、ブログに書き移したものです。

 

何冊かに分けて綴られた日記帳の中に、いつの7月なのか分からない部分がありました。

前回からのブログから謎なこと | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

 

途中で飛んでいて、いきなり始まって、また飛んで…。

 

どうやら飛んでいる間に年が変わっている疑惑がでてきたので、

次回の通院の時に手術時期を確認して、確定しましたら

訂正したいと思います。

 

本来なら母に確認したいのですが、

現在母は認知症。

ブログを始める許可をもらった時から、随分と症状が進んでしまい、

今では会話が成立しないことがかなり増えてきました。

 

母に確認しても、きっと答えはでないと思います。

 

 

 

日記を読み、個人特定につながるような箇所を精査して、ブログに書き移す作業。

頑張り屋でド根性な母だと思ってましたが、

予想はるかに頑張り続けてきたのだと、わかります。

それ故に、まだ年齢的に若い部類の母が、あれもこれもと出来なくなっていってるのを見るのは寂しいです。

 

 

 

 

まだ記憶が継続できてた頃

「お母さんの子どもたちは、各々ちゃんと自分を生きてて偉い」と

成人し、各々家庭を持って生活してる子どもたちを振り返って言っていました。

あの時、母がいつ消えてもいいと思っているようで怖いなと思っていました。

母の両親が早死にだったので、自分の年齢を思っての言葉だったのかもしれないけど、

子どもの成長を勝手にゴールにしないで欲しかった。

「自分を生きて」は自分に言うべきだと、今でも思っています。

世代的に難しいのかな。

趣味を見つけて、趣味のお友達と出かけたり、して欲しかったよ。