私が幼稚園の年中の頃に亡くなったから。
子供だから勿論叱られたこともあるんだろうけど、なんとなく優しいイメージしか残っていない。
父のいろんなエピソードも父の兄弟や母から聞くものが全て。
父の悪いところも話では聞くけど、死後だいぶ経つと、その事実は自分の中で咀嚼され、勝手に解釈されることによってかなり美化されている部分が多い。
でも、母から聞く話は大抵愚痴

未だに愚痴

「もうね!!あの人は知らない人でも仲良くなるとすぐ家に連れてきて、ご馳走しろだのなんだの…お金がない時期に本当に大変だったんだよ。はじめは会社の人なのかと思って『いつもお世話になってます』 って挨拶したら、さっき居酒屋
で意気投合した人だとか言うのよ~
」
で意気投合した人だとか言うのよ~
」とか

お気楽な人で、周りからはかなり好かれていたけど、仕事も転々とし、お金がないのに人に奢りたがる。
なんだそりゃ



子供にとって優しい父でも
母にとっては、かなり迷惑な旦那さんだったに違いない

自分の夫なら、なかりキレる(╬ ω )かも

でも、家庭を顧みないで遊んでいた訳でもなく、それは、母の育児日記
の内容や私達兄弟と父との写真
の多さにも表れている。
の内容や私達兄弟と父との写真
の多さにも表れている。まあ、簡単に言うと、憎めない人だったんだね。
闘病の時期は小さい私もなにか感じるものがあったんだとおもう。
1つ意外と鮮明に覚えていることがある。
当時の多分…夜 

私が起きると小さな蟻の様な大群が列をなして一方向に向かっていた。










なんだろう?と思い、四つん這いでその列を追って行った。その列は襖の隙間を超え、隣の父が寝ている部屋に続いていた。










大量の
の終着点は、父の寝ている布団のお腹の部分に渦を巻くように凝集していた。
の終着点は、父の寝ている布団のお腹の部分に渦を巻くように凝集していた。子供ながらに『やばい
!!』と凄くびっくりして
を殺そうと布団の上をバシバシと叩いた。
!!』と凄くびっくりして
を殺そうと布団の上をバシバシと叩いた。父がその時何を言ったかなんて覚えてない…母は飛んできて「何やってんの!!」と言ったような気がする。
でも、私は必死で
『お父さんのお腹が食べられちゃうよ~
』と布団を必死でパンパン叩いた。

』と布団を必死でパンパン叩いた。その叩いている感覚だけ何故か今でも覚えている。
父は胃がんだった

子供だから、勿論『胃がん』 だなんて教えられてない。
どんな病気かも教えられてはいなかったんだろうけど子供心に感じるものはあったんだと思う。
がんって本当に簡単に人の命を奪っちゃうんだなあ…
いい人も悪い人も関係なく
もう何十年も経つのに、どんなガンでも治ります
的な万能薬なんて未だに開発されてないし。
的な万能薬なんて未だに開発されてないし。研究者や製薬会社さん諸々頑張ってくださいよ~
こんな事、ずっと忘れてたのに
思い出したのはお盆だからかな~