あまり長々と書くことでもないのでさくっと結論から書きますと、

黒魔術の「源泉」は、人に対する不信感です。

 

さて、ここからが微妙な話になりますが、

あからさまに不信感を表明している人は、実は大丈夫なんですね。

 

その人は逆に、人に対する信頼感があるので、

あからさまに不信感を表明できる、というわけです。

 

人に対する根源的不信感があるときには、

不信感なんて表明できたものではありませんね。

 

さて、問題は、完全に潜在化した不信感は、

表向きはむしろ、「信頼感」という形をとっている、ということです。

 

そのため、不信感はますます潜在化し、「次元上昇」していきます。

 

そのようにして高次元に「上げられた」思念の集積が、

ちょうど、神秘主義でいうタルパを作るようなメカニズムによって、

あたかも、独立した主体性があるかのようになり始めたものが、

「黒魔術」の「正体」です。

 

「「黒魔術」の「正体」」という表現はやや語弊がありますが、

なんというか、例えば、「人類の覚醒を阻止しようとしている宇宙人」とかの出所はおそらくこれではないか、ということです。

 

タルパ - Wikipedia

 

こうしたことはすべて、普遍的無意識のレベルで起きていることであり、

通常は全く自覚することはできません。

 

ただし人は、本当は自分が作り出していることを「知っています」。

 

そのため、こうしたことは「認めたくありません」。

 

なぜならば、いったん認めてしまったら最後、自分の「罪深さ」のために自分は「「有罪」が確定する」からです。

 

で、神は全く咎めていませんが、しかし全く咎めていないからこそ、神は決して赦しませんね。

 

これは論理的な話になりますが、赦しが必要なのは、その前に咎めがあったからであり、

咎めていないのであれば赦しも必要にならない、ということです。

 

神は人の罪深さを野放しにしている、とかの見方も、それはそれでアリなのは、

例えばこうした事情によっています。

 

「神は赦さない。神は咎めたことがないからである。赦しが必要になるには、その前に咎めがなければならない。」(奇跡講座ワークブック、W-pI.46.1:1-2。ざっくりとふう訳)

 

ま、こうしたことは別の機会にしますが。

 

ざっとこうした一連の出来事があり、そして、

そうした「黒魔術師」の言っていることは、一見するととても「真実味」がある、

というのは、人が潜在的に信じていること、まさにそのまんまを代弁「してくれる」ため、

「やっぱりそうだよね」と合点がいくわけですよ。

 

つまり、例えばですが、「あなたの不信感には実際に根拠がある」とかですね。

 

もちろんですが、これは潜在意識の奥深くのことですよ。

 

だから、「高次の存在」からそんなことを言われたら、

人は普通に有頂天になりますから。

 

「私だけが「人類の闇の秘密」を知った」、みたいな。

 

で、肝心なことはもう一つ、

こうしたことすべて、実際には何一つ起きていず、ただ自分の心の中だけで起きていることだ、

ってわけですよ。

 

というわけで、黒魔術は存在しない、というお話でした。

 

ちゃんちゃん。

 

 

 

で、「例外」があります。

 

それは、実際に、こうした不信感に「根拠がある」としなければならないケースがあります。

 

上に書いたようなことは、このことに比べたら割と副次的なことに感じるかもしれません。

 

ちょっと思わせぶりな記述に終始してあれですが。

 

この両者を識別することに比べたら、「例外はない」とした方が、いちいち考えなくても済むので、なんぼか簡単ですからね。

 

ではでは~。