あまり長々と書くことでもないのでさくっと結論から書きますと、
黒魔術の「源泉」は、人に対する不信感です。
さて、ここからが微妙な話になりますが、
あからさまに不信感を表明している人は、実は大丈夫なんですね。
その人は逆に、人に対する信頼感があるので、
あからさまに不信感を表明できる、というわけです。
人に対する根源的不信感があるときには、
不信感なんて表明できたものではありませんね。
さて、問題は、完全に潜在化した不信感は、
表向きはむしろ、「信頼感」という形をとっている、ということです。
そのため、不信感はますます潜在化し、「次元上昇」していきます。
そのようにして高次元に「上げられた」思念の集積が、
ちょうど、神秘主義でいうタルパを作るようなメカニズムによって、
あたかも、独立した主体性があるかのようになり始めたものが、
「黒魔術」の「正体」です。
「「黒魔術」の「正体」」という表現はやや語弊がありますが、
なんというか、例えば、「人類の覚醒を阻止しようとしている宇宙人」とかの出所はおそらくこれではないか、ということです。
こうしたことはすべて、普遍的無意識のレベルで起きていることであり、
通常は全く自覚することはできません。
ただし人は、本当は自分が作り出していることを「知っています」。
そのため、こうしたことは「認めたくありません」。
なぜならば、いったん認めてしまったら最後、自分の「罪深さ」のために自分は「「有罪」が確定する」からです。
で、神は全く咎めていませんが、しかし全く咎めていないからこそ、神は決して赦しませんね。
これは論理的な話になりますが、赦しが必要なのは、その前に咎めがあったからであり、
咎めていないのであれば赦しも必要にならない、ということです。
神は人の罪深さを野放しにしている、とかの見方も、それはそれでアリなのは、
例えばこうした事情によっています。
「神は赦さない。神は咎めたことがないからである。赦しが必要になるには、その前に咎めがなければならない。」(奇跡講座ワークブック、W-pI.46.1:1-2。ざっくりとふう訳)
ま、こうしたことは別の機会にしますが。
ざっとこうした一連の出来事があり、そして、
そうした「黒魔術師」の言っていることは、一見するととても「真実味」がある、
というのは、人が潜在的に信じていること、まさにそのまんまを代弁「してくれる」ため、
「やっぱりそうだよね」と合点がいくわけですよ。
つまり、例えばですが、「あなたの不信感には実際に根拠がある」とかですね。
もちろんですが、これは潜在意識の奥深くのことですよ。
だから、「高次の存在」からそんなことを言われたら、
人は普通に有頂天になりますから。
「私だけが「人類の闇の秘密」を知った」、みたいな。
で、肝心なことはもう一つ、
こうしたことすべて、実際には何一つ起きていず、ただ自分の心の中だけで起きていることだ、
ってわけですよ。
というわけで、黒魔術は存在しない、というお話でした。
ちゃんちゃん。
で、「例外」があります。
それは、実際に、こうした不信感に「根拠がある」としなければならないケースがあります。
上に書いたようなことは、このことに比べたら割と副次的なことに感じるかもしれません。
ちょっと思わせぶりな記述に終始してあれですが。
この両者を識別することに比べたら、「例外はない」とした方が、いちいち考えなくても済むので、なんぼか簡単ですからね。
ではでは~。