おそらく人類は二手に分かれたが、どのように分かれたかを知ったら、あっと驚くかもしれない。

 

真理は逆説に継ぐ逆説である、とだけ言っておく。

 

さて、闇の勢力とは豪華客船の機関士かもしれない。

 

彼らの着ている服は確かに、エンジンの油で薄汚れている。

 

キャッチフレーズ的に言うと、「あなたはクルーなのか「お客様」なのか」、みたいな(笑)。

 

クルーはだいたい、「くるう」ものである。

 

「お客様」は「お客様対応」を求める。

 

スタッフは、邪魔になってはいけないからと、存在をさとられないようにする。

 

「お客様」の様子に気を配る担当の人は、「お客様」のふりをして紛れ込んでいる。

 

このように書くと、いかにもクルーの方が立派なようだが、

ただし、「お客様」が「いけない」とかではない。

 

豪華客船は「お客様」を乗せるためにある。

 

人類の二極化とは単に「棲み分け」を意味しているにすぎない。

 

つまり、「適材適所」というわけである。

 

奇跡講座関係で、「神はこの世界に介入しない」という向きがあるが、

あれは単に、「神は常に「神対応」している」というだけである。

 

例えば「悪人を裁いてほしい」とか、

神に対して人類が求めているものは、

神に対して「塩対応」することを求めているので、

その実現は永遠に無理でしょう。

 

自我は神に対して「お客様対応」しようとするため、

自我は神からスルーされる。

 

「神に対する「お客様対応」」とは、

例えば、神をほめたたえることである。

 

神は「創造して当然(ただし無限の喜びの中で)」なので、

そんなものを称賛されても、そもそも意味が分からない。

 

それでも称賛することに固執する向きに対しては、

「あなたにも 創造力 あげたい」となるわけである。

 

 

 

神に対する賛美は、実際には神を排除しているため、

こんなことをされたら、恐怖におののくわけである。

 

かくしてファウストは、自分は悪魔と取引をしたと錯覚したのであろう。

 

つまり、ファウストの苦悩は、ファウストが勝手に作り出したものなので、

それは文字通り「神ですらもどうしようもない」という性質を有している。

 

苦悩とは言葉の正しい意味で「神よりも高次元」という位置を作り出すことである。

 

この「神よりも高次元」という言葉は、矛盾していることがお分かりだと思うが、

では、なぜこれが「言葉の正しい意味で」ということになるのか。

 

これは私からの「挑戦状」としておこう(笑)。

 

あ、つまり、「答えは書いてやらないよー」つまり「ちったあ自分で考えやがれ」という意地悪な私だということですが(笑)。

 

といっても、意地悪にすらなり切れない、「超絶技巧的軟弱もの」な私なので、書きますわ(笑)。

 

まず、神は次元性自体を超越しています。

 

これは、非二元論とかを少しかじると理解できるので、ここには深入りしません。

 

では、次元性自体を超越している存在より「高い」次元とは、そもそもどういうことか。

 

つまり、これ、例えばですが、「無限大より大きい数」「無限遠より遠いところ」みたいなことになっているわけですよ。

 

 

 

というわけで、「神よりも高次元」という言葉の意味するところが、少しずつ見えてきたかもですが。

 

これは言い換えると、「根源的矛盾」みたいに表現することもできますが、ただ、これだとあまりピンときません。

 

そして、どうやら、社会の位置している次元は、まさにこの、「神よりも高次元」のところのようなんですね。

 

これ、気が付いた時はびっくりしましたが、しかし、この前提から社会の諸問題を捉えると、すらすらと整理できるようになります。

 

もちろんですが、「神よりも高次元」という位置は「存在し得ない位置」ということですよ。

 

ま、「存在し得ない」というのはつまり、「あり得ない」ということですが。

 

蜃気楼とか逃げ水とかも、強いて位置付ければ、この位置に位置づけることができるかもしれません。

 

 

 

ここまでですと、単にこれは奇跡講座の受け売りという以上のものではありませんが。

 

しかし、この「実在しない位置」を措定することによって、ようやく、自己他者問題に対するアプローチにおける「ベースキャンプ」のようなものが設営可能になったわけなんです。

 

ま、しかしこの時点ですでに「おなか一杯」感があるかもなので、以下は別の機会に書きますね。

 

ではではです。