一昔前の食育では、「出されたものは残さず食べましょう」というのが一般的で、食べ残すことは「よくない」ことだというのが一般的だった。

なので、例えば拒食症とかにしても、食べるものが有り余っているにも関わらず、食べることができない病気というもの自体が、一昔前の人にとってはそもそも理解できなかったようだ。

ただし、歴史をひもとくと、拒食症自体は、かなり以前、少なくとも近代ヨーロッパでは、ごくわずかながらあったようである。

ただし、疾病概念として括られるようになったのは、ここ数十年のことのようだ。



さて、例えばそのように、食を巡る状況も、とりわけ高度経済成長以降は、それ以前と様変わりした。

それまでは、食べ物は、あること自体がありがたいものだったが、それ以降は、あるのが当たり前になった。

そして、とても食べきれないような量を絶えず与えられるような状況、つまり飽食、の中で、「出されたものは残さず食べる」という指導は、実質的には「ただの拷問」となった。

つまり、たとえ満腹でも、あるいは食べたくないものでも、残さず食べることを強要され続けるような状況へと様変わりした。

なので、昔であれば、「もう食べたくない」というのは「わがまま」「贅沢」だったが、今では、好き嫌いをはっきり自覚あるいは表明したり、どうしても食べたくなければ思い切って残す、ということが必要とされるようになった。

というのは、「残さず食べる」という感覚というのは、食事に関しては、何か文化や世代を超えて、「本来はそうするものだ」という感覚があるようだからである。

人類史の大半は飢餓状態だった、ということは、食べ物はあればとりあえず食べるというのが「当たり前」だったからなのかもしれない。

なので、「出されたものは残さず食べる」というのは、お腹が空いていたらそうなるのは「自然な」ことであろう。

ではなぜわざわざ、「残さず食べる」という指導がなされていたのだろうか。

こうしたことを研究する分野としては、文化人類学とか民俗学とか、あるいは考古学に対して「考現学」というのもあるが、そうしたことは私は、「素人の耳学問」「下手の横好き」程度にしか知らず、別に専門的に研究したりしてはいないので、あまりよくわからない。

ただ、なぜかそうした雰囲気、つまり、「出されたものは全部食べなければならない」かのような雰囲気が、一昔前は当たり前だったことは確かである。



『日本人には二種類いる』という本がある。

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これは、別に日本人をタイプ分類するとかではなく、1960年までに生まれた人と、1960年以降に生まれた人とでは、物事の捉え方の質が変わっているようだ、という捉え方のことである。

「1960年」という年に何かがあったということではないようだが、なぜか、ほぼこの年を境に、いろいろな物事の価値観が変化しているようだ、ということである。

1960年とは、終戦時に10歳だった人が、平均的な意味で、結婚して子どもを産むようになる年である。

ということは、そうした世代の人は、国も社会も価値観が逆になった、ということを身をもって体験している。

しかも、子ども時代に体験していて、かつ、ある程度大人の価値観が分かり始めた頃に、そうした逆転を体験している。

ということは、そうした世代の人々の間では、「頼りになるのは結局、自分だけ」という「教訓」が、個人を超えて共有されているとしても、不思議ではない。

そして、そうした人々が子どもを育てる段になると、当然、「イエ」よりも個人を大切にするような意識で子どもを育てるようになる。

「「イエ」は結局、あてにならない」からである。

ただしここで、厳密に言うと、個人としての親を子どもに敬わせるという方向にも分化した可能性があるので、一概に個人重視とは言い切れないのかもしれないが。

いずれにせよ、少なくともこの頃から、「イエ」の影響が急速に薄れていった、ということは想像に難くない。

なので、例えば「お国のために命を捨てる」という発想自体が、もう、今の人々には根本的にピンとこないものになった。

戦時中はおそらく、この発想は、本音はともかく建前としては、公然とまかり通っていたわけである。

で、例えば『はだしのゲン』などは、当時の雰囲気の「リアリティ」を知ることができる漫画だが、その中でも先に言ったように、「お国のために命を捨てる」的発想に対して過剰に同一化する多数派と、本音のところでは違和感を感じている少数派と、人にはやはり2種類あったことが覗われる。

例えばこの落書きが当時はやっていた、ということが意味するのは、人々は本当のところはこのように感じていたからであろう。

これは、例えば右翼でもなく左翼でもないが、しかし中道ということでもない、といったことに注目するといいかもしれない。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2019/08/post-12740_5.php

結局はこれは、サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の中でいう、「地下鉄の壁や安アパートの玄関にこそ、預言者の言葉は書かれている」ということとも照応する。

https://www.worldfolksong.com/popular/sound-of-silence.html

なので、ここでいう「sound of silence」とは、「無言のシュプレヒコール」でもあるのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=tk4VnGWU-cY

なので、1960年以降、価値観のベースががらりと変わったのは、それ以前は少数派だった価値観が主流になった、という価値観の転換が生じた、というように捉えることもまた、不可能ではない。

つまり、人々が、より「本音」で生きてもいいと思うようになり、そしてその傾向が社会の主流を占めるようになり、「個人より全体を優先する」というそれまで表立っての主流性を占めていた意識の志向性に対して、その有位性が逆転したのが、ほぼ1960年前後なのではないか、ということである。



例えばこのようにして、とりわけ1960年以降、生きることにおいて何が大切なのかというところの価値観が急速に変化し始めた。

それまでは、「我をなくす」ことは、何か金科玉条のように大切にされていたようである。

ただし、もちろんだがほとんどの人は自我バリバリであっただろう。

そして、実際には我をなくすことは不可能である。

本気で我をなくそうとすることは、我をなくそうとする我が潜在的に強くなり、結果として我が複雑になっていくに終わる。

しかし、なぜか、「我をなくす」ことは何か「いい」ことであるかのような価値観だけが人々の間で公的に横行していたようである。

これは厳密に言うと、横行させるのではなく「巡行」、つまり意識進化の方向性を確立するための動因、つまり、「我はいずれ解消される方向に向かう」という、いわば「努力目標」のようなものとして、本来用いられるはずのものだったのではないか。

「我は「いずれなくなる」ものだ」というのがなぜか、「我は「ただちになくす」ものだ」ということになっている。

ただし、この世界は長期的にみると、意識進化の全体的な流れに対して「逆行」状態にあったので、仕方がないと言えばそれまでである。

さて、「我をなくす」ことが横行した結果として、現代では事情は逆転し、ごく基本的な自己愛すら持てなくなっている人が非常に増えた。

なのでスピリチュアルでは、当たり前のように「自己愛」「自愛」「自分を大切に」というようになっている。

「自己愛」というものは、歴史のほぼすべてを通して、何か「よくないもの」の代表格であるかのように扱われてきた。

そのことに関して、表立っては改めて疑問視されることがなかったようだ。

これはよく考えるとおかしい。

このことは、実際にも自己愛の欠乏感に苦しんだことのある人なら、その「おかしさ」がなんとなくわかるであろう。

例えば、「いわゆる自己愛が強いと思われている人は、実は本当の意味での自己愛に欠けているのではないか」という意味の言及を、かなり昔に、確か森田療法関連の本で見た記憶がある。

これを逆に言うと、自己愛の欠乏感に苦しんでいる人はしばしば、ナルシストだと思われる、ということである。



そもそも、「汝の隣人を愛せよ」というのは本当は、「隣人を自分のように愛しなさい」だった。

(例えば、マタイによる福音書、19:19、22:39、マルコによる福音書、12:31、12:33、ルカによる福音書、10:27)

なので、「自分のことを大切にできる人が、他人のことも本当に大切にできる」というのは、実はすでに福音書に書かれていたことである。

実際には、人は、隣人を自分のように「愛さない」ことの方が不可能である、つまり、人は元々、自分に対するようにしか他の人に接することができない。

なので、「隣人がもし自分自身だったとしたらどうするか」という感覚で捉える、というのは、構造的に言うと、「自分は、自分のことを本当はどう思っているかを他の人に見ている」、ということである。

ということは、自己愛が何か「よくない」ものであるかのように歴史的に捉えられてきたというぐらい、ほとんどの人は、心の奥底では、実は自分のことを大切だとはとても感じられず、むしろ内心で自分のことを激しく憎悪していた、ということを意味していることになる。

しかも、自己憎悪の激しさこそが、激情的な自己愛として、真逆に捉えられていた可能性すら、ある。

そんな根源的な混乱状態で、「隣人を自分のように愛しなさい」と言われても、それはどだい無理な話である。

しかし、人類がこぞってそうした無理に無理を重ねた結果、自己愛の欠乏感がこれ以上ごまかしようがないところまで到達した。



例えばこのように、「自己愛」ということひとつとってみても、今までの感覚と現在の感覚とでは、何かが真逆になっているというぐらいの印象がある。

これは、人間性自体ががらりと変わったというより、今までは完全に潜在化していたものが表面化するようになった、という感じがしている。

そもそも、近代的自我の確立した個人として生きるという、いわゆる「西洋型個人主義」というものは、たかだかこの400年ぐらいの歴史しかない。

つまり、それ以前の人は、現代人なら当たり前の「個人」という感覚があまりない状態で生きていた、ということは、確実であろう。

少なくとも、当時の人が感じている「自分個人」という感覚と、現代人のそれとが、全く同じということは、おそらくないだろう。



こうして、人類が営々として築き上げ、また積み重ねてきた知識は、ある種の「飽食」状態を迎えた。

「霊的情報のランチビュッフェ」もまた、やりたい放題であるが、こんなことは歴史上、未だかつてなかったことだというぐらい、「例外的な」状況である。

これがいけないということではない。

「自分の気の赴くまま、好きなようにどれだけでも食べてもいい」という状況を、人は味わう必要があるのかもしれない。

「本来、どんなものを食べようが自由なのだ」ということは、実際にいろいろと食べてみないとわからない。

なので、例えばこうしたことを提唱している人もいる。

https://www.amazon.co.jp/dp/B009Z7HUSO/

これはごくかいつまんで言うと、「食べたいときに食べたいものを食べたいだけ食べる」というものであり、「あれを食べてはだめ、これを食べなければだめ」といった食事療法とは一線を画している。

(ただし、本稿はこの療法をお勧めするものではありませんし、気の赴くままに食べることを奨励するものでもありません)



例えばこのように、パラダイムは実質上、すでに転換していると言える。

何も変わっていないように見えるのは、物理学でいう「慣性の法則」のようなもの、つまり、勢いがついているものはしばらくは動き続けようとするから、みたいなことなのかもしれない。

そのため、様々な情報が入り乱れる状況となっているが、転換期とはこのように、方向性が錯綜するものなのかもしれない。



さて、このように現代では、「情報の取捨選択の知恵」というものが大いに必要とされるようになっているようである。

何がいいのか悪いのかは、究極的には判断はつかない。

というより、その時その時の自分にとって何が本当に必要なのかは、実は神ですらもわからない。

たとえ長期的には明らかに「おかしい」「間違っている」ことでも、その時の自分にとってはどうしてもそれが必要だった、というようなことは、実際にはあまりにもありきたりなことだったりするため、今の自分にとって何が本当に必要なのかは、実は神にもわからない、ということである。

だからこそ、現代という「霊的飽食の時代」においては、そうしたことを洗いざらい再検討する機会にとても恵まれている。

だからこそ、そうした機会を徹底的に奪おうとする動き、つまり、人々から「自分でものを考える力」をどうにかしてなくしてしまおうとするような意識の動きもまた、ある。

しかし皮肉なことに、「考えるな」的な発想もまた、霊的には結構言われている。

これはどちらが正しいとか間違っているとかではない。

あまりに思考にとらわれているときには、「考えない」ことが必要な場合もあるが、「自分でものを考える」ことは、結果として心の識別力にも大いに貢献する。

ことわざには、一見すると互いに正反対のことを言っているものが、実は結構ある。

例えばだが、「待てば海路の日和あり」と「善は急げ」は、一見すると真逆である。

日月神示にも、「我があってはならんぞ。我がなくてもならんぞ」と、どう見ても互いに矛盾している言葉が連続している箇所がある。

例えばこのように、真理に至る道は互いに矛盾しているものが両在することになる。

結局はこうしたことは、言語的・直線的理解の「外部性」に意識が接続する必要性から生じている。

そしてそれは、「父母未生以前の本来の面目」に到達する。

これは、「すべての後天的な条件付けから脱却せよ」という意味であり、つまり「I am.」のことである。

その時にとても「助けになる」智慧が、臨済宗でいう「仏に逢うては仏を殺せ」である。

つまり、「心の中の無数のコンプレックスは、無意識の囚われなので、気が付いたら即、手放すこと」の重要性に関する言及である。

つまりこの2つの言葉は、同じことを別の側面から言い換えたものであり、前者は他者側から、後者は自己側から、それぞれ捉えていて、かつ、きわめて実践的な知恵である。

この2側面からの探求は、自分の中ではいわば「同時進行」であり、そしてそれが最終的に出会うのが、「啐啄同時・啐啄同機」である。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%95%90%E5%95%84%E5%90%8C%E6%99%82/
これはとどのつまり、自己側からの探求と他者側からの探求とが最終的に出会う地点(時点)のことでもある。

奇跡講座は自己他者関係の質の変容を重視しているため、このことを自己と他者が最終的に出会う瞬間として、次のように描写している。

そのようにして、あなたと兄弟はこの聖なる場所に、あなた方とキリストの顔の間に垂れ下がる罪のベールを前にして立っている。そのベールを取り除こう! 兄弟と一緒にそれを持ち上げなさい。それはあなた方二人を遮る一枚のベールに過ぎない。あなたも兄弟も、ひとりではそれを頑丈な障害物と見る。また、今、自分たちを隔てている帳がいかに薄いものかにも気づかない。それでも、それはあなたの自覚においてはもうほとんど終わりに近づいており、ベールの前のここにいるあなたにさえも、平安は到達している。(『奇跡講座 上巻』、中央アート出版社、T-22.IV.3:1-5)

これはつまり、「ベール」「障害物」「帳」として描写されているものが、「啐啄同時」においては「卵の殻」として捉えられている、ということである。

これをただ自分のみで行おうとしてもうまくいかないのは、ヘルマン・ヘッセが次のように描写している。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」(『デミアン』、ヘルマン・ヘッセ著)

西洋文明の最大の「脆弱性」は、例えばこのように、神にあこがれるあまり、「他者なるもの」が見えないままにとどまりがちである、というところが一つ、とても大きいようだ。

これは、垂直的差異を強調するあまり、水平的差異の「背後」に潜在化している垂直的差異への自覚がなかなか持てない、ということになる。

東洋文明は逆に、神をも「他者なるもの」に落とし込むことで、いわば垂直的差異を初めから水平化して捉えているため、それは西洋的観点からは、東洋文明はあたかも西洋文明の「到達点」に位置しているかのようなことになる。

東洋文明の「問題点」は、このままでは意識の「縦軸」が立ち上がらず、方向性自体を見失いがちである、というところにある。

というのは、自他の「会合ポイント」は、「現状」に対して「上方」にも「下方」にも設定可能だが、では、どちらが本当の意味での「上方」なのかも、そもそも混乱している現状では、ただ東洋的な知恵だけでは何一つ定位不可能になるという、海王星的カオス状況から脱却できないからである。

西洋の問題点は、「軸が横転している」ところ、つまり天王星的状況にある。

そのため、独我論と双対論とが、いわば意識の縦軸と横軸として交差するとき、はじめてその本来の機能を発揮する。

それはスローガンとして言うならば、「冥王星を目指せ」だったはずだが、あいにく(?)、冥王星はもはや惑星としては認められていない。

https://media.rakuten-sec.net/articles/-/42389

その代わりと言っては何だが、冥王星が新たに属することになった「準惑星」というカテゴリーには、実に様々な天体が帰属している。

つまり、ここでもまた「霊的飽食」状況が現れてきていることになる。

例えばだが、準惑星エリスを見てみよう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B9_(%E6%BA%96%E6%83%91%E6%98%9F)

ここで、エリスの名前の由来はギリシャ神話の「不和と争いの女神エリス」だとされているが、勘のいい方はぴんと来たかもしれないが、これは明らかに、分離と関連がある。

しかも、軌道傾斜角が44度であり、つまり、黄道面にあまり位置しないため、発見が遅れたらしい。

なので、エリスの現在位置を黄道面に投影すると、軌道傾斜角だけではなく離心率の関係で、占星術的にはその角速度は、他の天体よりもかなり変動が大きい、つまり、あるサインに滞在しているときと、別のサインに滞在しているときとの期間が、かなりばらつきが大きく、また、エリスが黄道面に対して「上方」にあるときと「下方」にあるときとでは、おそらくだがその位置が示している意味が互いに真逆になるであろう、ということが予想される。



さて、海王星的カオス状況では、「にっちもさっちもいかない」感覚が普通である。

また、いとも簡単にすべてがカオス化してしまう。

それは、垂直的差異を水平化して捉えるという、天王星の癖が残存していることによる。

しかし、東洋的精神性を有していても、西洋的物質文明の魅力には抗えないというのは、海王星の段階に到達しても、天王星の段階にいとも簡単に戻ってしまう、ということになる。

これは、「慣れ親しんだ」感覚だからとか、あるいは、たとえ横転していても、一定の秩序性が得られるという安心感とか、いろいろな理由はあるにせよ、ここでどうしても、天王星方向にいったん引き戻される力が働くことは否めない。

これは、海王星的精神性に到達しても、そこから再び、天王星的横転秩序へと逆戻りする可能性を示唆している。

このままではどうしても、冥王星領域に到達しないが、しかし、どうせ天王星領域に引き戻されるのであれば、その力をいわば「逆利用」する、つまり一種のスイングバイや合気道のようにして、天王星方向に引き戻される力自体を冥王星方向に向かう力へと転換させる、ということが、おそらく求められているのであろう。

さて、序論としてはかなり「濃い」ものとなってしまったが、ここでとりあえず筆をおくこととする。