『 私とロクディム』 | きゅっきゅ8のえんがわで

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人生は演劇だ。社会劇場、世間の目を観客に、何者かを演じて生きる。無限大の可能性を信じて、制服に征服されぬよう、着たい服をまとい息をする。こころの店、きゅっきゅ8(きゅっきゅや)のえんがわで、うたたねしながら感じる音や光。
ゆき過ぎる日常をたねに、うたう。



ロクディムとの出逢いは10年前、かしわ演劇祭に遡る。

立ち上げメンバーだった私は実行委員として、一ヶ月後に迫った演劇祭のビラまきに、イベントが行われている柏の歩行者天国へ。
そのチラシを取りに行った施設で小田さんと初めましてだった。人見知りな私だったが、ロクディムの名前の由来など自分から聞いたのを覚えている。

そして、記念すべき第一回目の演劇祭。
実行委員をやりつつ、出演団体(きゅっきゅ8企画∞マーブルポケット∞)としても参加。

ロクディムの公演を観ることはできなかった。過去の手帳を引っ張り出してみたのだが、場所のメモがあるだけ。
最終日は、声の出演をしてくれた子の公演を観にいったか何かで不在で、カーテンコールにギリギリ間に合って、お客様や出演者やスタッフの「いい顔」を見てボロ泣きしたような、遠いとおい記憶がある。

とにかく、観られなかったのだ。残念すぎる。その後、最初にロクディムの公演を観たのがいつだったのかは、はっきりと覚えていない。


その後も観られない瞬間は続く。
例年、地元、柏(千葉県)で受付を担当する知人のイベントにロクディムがゲスト出演することが何度かあった。
受付なので、公演中もずっとロビーに。またもや観られず。会場が、どっとどよめく度に、うっすら漏れてくる笑い声に耳をそば立てていた。

だからこそ
「この瞬間」
を味わえた時の喜びは、ひとしお。


わたしは、たまに、制作や音響・照明操作、衣装などの仕事をしている。多い時は週に5本以上の舞台やイベントを味わいに行く。
でも、自分が携わっていても、本当に一緒に良いと思うものしか勧めない。その後二度と観てもらえなくなってしまう恐れがあるからだ。

その人にとって、最初で最後になるかもしれないし、
たくさん観てる中のひとつかもしれないし、
どういう状況で観るのかも分からないからこそ、
自分が自信を持ってオススメできるものを、そして、でき上がる過程を見ているならば、オススメできる状態になってから、
しか勧めないことにしている。

そんな中でも、ロクディムは自信を持ってオススメできるうちのひとつである。

ライブには何度も足を運んだ。何人もの友人にオススメをした。私は持病があり、体調や心の調子が悪くて出かけられない時がある分、そういうことができることは生きがいであるし、また勧めた人が満足そうな顔をしているのを見るのがまた一段と嬉しかった。


さて、ここでちょっと話題を変えることにする。

「笑う」ということは、私にとって、ずっと難関だった。
幼少期から、皆と同じように笑えないことにコンプレックスを抱いていた。皆が笑っていることが自分にとっては面白くなく、皆がつまらない事が面白い。そんな天邪鬼な人間だった。

運動会の綱引きで勝って、周りが飛び跳ねて喜ぶ中、引きつった笑顔で飛んでみる。
感情の表現方法やタイミングが、周りの人とは違っていても良いということを認められるまで、だいぶ時間がかかった。

だから、舞台を誰かと観に行くというのも苦手だった。だから、ロクディムのライブも、初めのうちは苦手だった。周りと合わせて笑わなきゃ、という思いが強かったから。

けれど、
そのうち、そんなことを意識する暇がないほど、惹き込まれている自分がいた。
いまだに、周りと笑いのタイミングやツボは違うことが多いけど、自分の「この瞬間」を楽しめるようになった。

そして、2年前くらいから小田さんの即興劇ワークショップに参加するようになる。
わたしは、スタッフワークをより良くするために、たまーに出演するが、基本的に裏方だ。裏方大好きなのだ。
だから、ワークショップは毎回挑戦。
「こうしなきゃという思い込み」
「こう思われてるであろう自分を無意識に演じる」
みたいな自分に気づく。
日常生活と繋がって、少しづつ、息がしやすくなってきた。


かなり長くなってしまったが
『私とロクディム』
は、ここでおしまい。

ウェブは強くないけど、
今までやってきた制作で、
いつかロクディムのお役に立てる日が来たら嬉しいなあと、こっそり思っている。

「この瞬間を一緒に笑おう」
を、
これまで出逢った人たちや、これから出逢う人たちと、たくさんたくさん味わえたら、きっととっても幸せだ。