ここのところ、毎月、黒い服に見を包んでいる。
大学1年のときに、母方の祖母、父方の祖父が相次いで亡くなり、そのあたりからぐっと、生きること、終わりを迎えることについての感覚が身近になった。
大学を卒業する頃に保険を見直し、自分の葬儀費用はまかなえるよう準備して、エンディングノートは数年前から書き始めた。溜め込んでいる雑貨やら洋服やら日記やら手帳やらは、亡くなったら中を見ずに捨ててねとお願いしてある。
だがしかし、こうしてSNSというものに囲まれていると、ふと思うのだ。
もし、自分が、ふいに命を落としたとき、知らせることのできる人はどれくらい居るだろうかと。
いま、一緒に公演に向かい稽古を重ねる仲間にすら、届かない恐れもある。
Facebookだけで、LINEだけで、Twitterだけで…電話番号やメールアドレスを知らない友人の、なんと多いことか。
家族にパスワードを明かすのも、何のためのパスワード?つて話になるし、何かあったときに見てねとエンディングノートに記すにも、種類が多すぎて。そして、家人は、SNSもLINEも一切やっていないときた。
弟もFacebookをやっているから、そこから姉のページに書いてもらう…、共通の知り合いが多い何人かの電話番号をノートに…。
毎日投稿しなくなったSNSは、もはや外からの安否確認にはならず。
孤独死の心配は、今のところ無いし、生死に関わる病にも罹っていない。だが、事故の可能性だってあるし、最近は、怖い事件もよく耳にする。
いま、考えているのは生前葬。会場はもちろん劇場でね。何年先になるかわからないけれど、もし最期を予期できるようなタイミングが来たら、きっと開催しよう。
皆さまに心からの感謝を込めて。