最期かもしれないし、いつかの「またね」かもしれないし。 | きゅっきゅ8のえんがわで

きゅっきゅ8のえんがわで

人生は演劇だ。社会劇場、世間の目を観客に、何者かを演じて生きる。無限大の可能性を信じて、制服に征服されぬよう、着たい服をまとい息をする。こころの店、きゅっきゅ8(きゅっきゅや)のえんがわで、うたたねしながら感じる音や光。
ゆき過ぎる日常をたねに、うたう。


基本的に、行きたい所には一人で行くし、観たいものは一人で観に行くし、ほしい物は自分で買うし、食べたいものは一人で食べに行く。

ずっと、そんな感じ。

だけど最近は、誰かを誘ったりする。かなり勇気がいる。興味ないかもしれないし、そんな時間ないかもしれないし、そもそも、わたしと一緒に行くのは気が進まないかもしれない。


それでも、これはぜひ、あの人に観てほしいとか、体験してはしいと思ったら、言葉をかける。

一緒に映画や舞台に行っても、別に隣に並んで観なくたっていい。好きな席、あると思うから。それは、これまでも、たぶんこれからも、変わらない。


いつが最後か分からないという思いが一段と強くなってきた最近。

昨日の「またね」が「さよなら」になるかもしれない。

だけど、自分の気持ちだけが強すぎるのもいけない。

誘われない限り、ずっと一人で動いていたから、加減が、まだ掴めない。

だから、日々反省。


いろんなものは、今しか無くて、その時にぴったり気持ちが合うのは、ほんの少し。

だから大事。

だから難しい。


お互いに望む「またね」が最期にならずに、なるべく多く、いつかの「またね」になりますように。