わかれ | きゅっきゅ8のえんがわで

きゅっきゅ8のえんがわで

人生は演劇だ。社会劇場、世間の目を観客に、何者かを演じて生きる。無限大の可能性を信じて、制服に征服されぬよう、着たい服をまとい息をする。こころの店、きゅっきゅ8(きゅっきゅや)のえんがわで、うたたねしながら感じる音や光。
ゆき過ぎる日常をたねに、うたう。


解りたくて振り返った昨日と今日は、いつの間か分かれていた。

別れることは、いつまでたっても、この先も、できそうにないのに。

勝手に分かれて繋がっていた。


あの日、持ちきれなかったものたちは、掌からこぼれ落ち、わかれていった。

ヘンゼルとグレーテルが、家に帰る道しるべにしたパンの欠片のように。

小鳥に食べられ、風に運ばれ、あちらこちらに散らばった。

そして、戻りたかった場所には帰れず、行く先も知らずに歩いては、過去の自分に未来を尋ねた。


今日の空の蒼さと、毎日の心の青さは、決して比例することなく、どこかでつながりを保つ。

あの日こぼれ落ちた欠片たちは、未来に運ばれていた。

少しずつ大きくなっていく掌に、歩くたび戻ってくる欠片たち。

誰かは、それらを過去と呼び、未来を訪ねる鞄に入れた。


あの日、別れたかったものたちと、分かれてしまった昨日と今日は、訳もなく、意味を持って続いてゆく。

だから明日も明後日も、小さな欠片を見つけては、空を見上げているのだろう。

何かを解ってゆくのだろう。