数日前夫が、不安が増したのか機嫌が悪くなって車の中でお説教?みたいなものをずーっと言ってました。
私は、話は聞いていたけど、それによって自分の心がどう感じているのかをひたすら感じるように意識を自分に向けていました。
感じたのは、
胸がザワザワしてる
です。
このザワザワさんには浄化してもらおうと思って、ひたすら感じていました。
夫への返事は「うん、うん」としつつ。
車の中に蔓延する不穏な空気。
気分爽快とは言えない感じ。
心のザワザワに集中。
家に着くころには泣きそうでした。
その泣きそうになった時は、もう心は何も反応を感じません。
ただ、涙がぐっとこみ上げてくる感じ。
これは、私の中の未浄化な何かの感情なのか、
それとも、夫の感情を受け取って涙で浄化してるのか。
よく分からないですが、心は何も感じません。
ただ、頭がぼーっとして重い感じです。
思考が働きません。
まだ続いている夫の小言を耳に入れつつ、帰宅後の後片付けや夕食の準備をします。
思考が働かないからやろうとしたことを忘れたりしながら、それでも着々と自分に集中しながら物事を進めていきます。
夫は、小言が始まると長いです。
私は、いったん涙がこみ上げると涙がおさまるまでが長いです。
涙を流しながらの作業は、視界が見えにくくなるので困ります。
さらに飢えた子供達が足元にすがり付いてきて機敏性は半減です。
今までは、そうなったときはよく自分のせいって考えていましたが、
スピリチュアルな世界観を知っていくうちに、自分のせいとか誰かのせいとかそういうのじゃないっていうのを理解していきました。
過去に私が出した周波数が今反映されているだけ。
って理解しています。
とりあえず、現状の受け入れ、自分の受け入れ、思考ストップ、内観とかを、夕食作りと同時進行でしていきます。
夫の小言はまだ続いています。
だいぶスッキリしてきたのか、子どもたちをひきつけて夕食作りに専念できるようにしてくれるなど、フォローが入りました。
夫の空気が緩んで優しさを感じると、またぶわぁっと涙が溢れます。
これは何の作用なんだろう?
小さいころから、私の涙が止まらない時ってこんな感じです。
自分の心が何もわからないです。
罪悪感とか、寂しさとか何か湧いてくれればいいのですが。
ほんとうに、心は静寂。
静寂なものはしょうがないので、そのまま現実を受け入れるだけです。
思考も止まり、心の変化も感じられないまま、ふとキッチンに置いてある切り花が目に留まりました。
花は見ていると癒されます。
花が近くに居てくれる。
私がよく分からない状態になっても、変わらず咲き続けている花を見たら、「ありがとう」って感じました。
そこから、気持ちがだんだん軽くなってきて幸せオーラに包まれるような感覚になりました。
内心で、
「(やった。幸せ周波数出てる。未来は安泰。)」
と思い、安心しました。
食事の支度中も、食事中も思考がまだ働かないので、ただただ感じるままに食事していました。
そうしたら、ご飯が美味しかったです。
器独特の香りや、手触り、ご飯の味や触感なんかも、こんなにじっくり感じたのは久しぶりかもしれなかったです。
日常の細々したことを、ただただこなしていましたが、
味わう、手触り、香り、こういった五感で感じる事に意識してみると、とってもしあわせな気分になりました。
心が、嬉しいって言っているようです。
今まで、ゆったりと感じながら日常を送るっていう事しばらくしていなかったなと気づきました。
歯磨きでも食器洗いでも、そんな些細なことも、しっかり感じるととても幸せな気分になります。
あー、生きてる~って感じます。
思考が働かなくなったおかげで、感じるしあわせを再発見できました。
私は、五感で感じる事にしあわせを感じる様です。
このまま、五感を大事にして生きていきたいです