法律って | ユリのふるさと創り

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アナスタシア シベリア杉シリーズを読んだことある人いますか?
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そのための1歩がこのブログです。

最近法律系の教科書を読んでいて気付いたのですが、

 

 

教科書の冒頭に、

 

 

「1人で生きていくよりも社会で生きていくほうが生きやすい。」

 

 

 

みたいなことが書かれていたんです。

 

 

 

1人での自給自足は無理だよって安易に伝えてる気がしました。

 

 

 

そして、社会生活を営む上で、法律が必要だとも書いてありました。

 

 

 

 

”社会”の規模が大きくなればなるほど、

 

 

法律も多様化して、細分化していきますよね。

 

 

 

 

法律の専門家が必要なほど、

 

 

法律も含めてすべて知って自立するのは難しい。

 

(出来なくはない。)

 

 

 

でもそれなら、逆もありだなって思いました。

 

 

 

社会という構造が小さくなればなるほど、

 

 

 

法律っておおまかになっていくんじゃないのかな。

 

 

 

家庭の決まりが、地域の決め事よりも少ないように。

 

 

 

 

でしかも、法律っていつの間にか社会で生きる私たちのためにならないことも法律として設定されてるから、ずるいな(笑)って思う。

 

 

 

一度仕組みを作っちゃって、浸透させて、専門の期間を作って管理体制を整えれば、

 

 

あとは、その法律を管理している権力者の思うように動かしやすくなる。

 

 

 

そんな仕組み。

 

 

 

賢い。

 

 

 

でも、私はそれを求めてないので、改革したいです。

 

 

 

あれ、こういうのって

書いたら法律違反になるんだっけ?

 

 

 

ほんと、法律って、いまや本当に人のためになるようなことからズレちゃってる気がする。

 

 

 

全部ズレてるわけじゃないのがまた賢い。

 

 

 

そんな、みんなが覚えきれないような数の法律設定するくらい、

 

 

私たちの社会は大きくなってるんだなと思います。

 

 

 

小さい調和のとれたものが固まって大きくなるんじゃなくて、

 

 

不調和なものが不調和のままどんどん拡大していってるイメージ。

 

 

 

でもそれももう終わりですね。

 

 

 

 

一度、調和のとれた社会システムのお手本が示されれば、

 

 

 

あとは調和の波にどんどん乗るだけです。

 

 

 

自然って、そういう風に出来てると思う。

 

 

 

と、波動とか波長とか周波数の探求をしている夫の話を聞いていて思ったのでしたニコニコ