エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ -23ページ目

エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

NO PASSION NO GLORY     This is HASHIMOTO☆QUALITY                                            

生きていく上で


「めんどくさくないこと。」など無いと思います。


意識するしないに関係なく


というか


心臓が動いて、血液を送り出し、循環させていることすら


無意識なこととして行われていますが


カラダには、ある面では、ストレスで


「めんどくさいこと。」といえるかもしれません。


「そんなこというなら生きるということを続けないほうがイイのか。」


そんな風にアタマに浮かんだんだとすれば


他人の意見に対して「考えること。」という


めんどくさいことをしているってことですから


そう、そういうことなのです。


まぁ、しずれにしても破壊的な思考による現実逃避は


企業の再生などのケース以外は


お勧めしませんが。


最近乱発されている


「面倒くさい」というキーワードも


使い方や使われる場面で様々な意味に変化をしたりします。


そもそも「面倒」というのは


「手間がかかったり、解決することが容易でなかったりで、わずらわしいこと。」だったり


「世話」のことだったり


「体裁が悪いこと。見苦しいこと。」のことを言います。


スマートにというか、カッコウ良く進めることのできないときに


簡単に口をついて出る


「めんどくせぇなあ。」


物事をスタートさせるときに、とっかかりやきっかけが見えないときに簡単に逃げ道をチョイスすることを自爆装置のスイッチを押すかのように後押しする


「めんどくせぇなあ。」


責任を背負わないように、なおかつ、拒否することによって他人を傷つけないようなフリで、実は、自分が傷つくことを回避するための号令


「めんどくせぇなあ。」


そうかと思えば


「これって、めんどくさいっすね。」って言いながら、目を輝かせて、ファイト満々、やる気モリモリ、モチベーションアップのトリガーを引くことの原動力にしてる人もいます。


「こいつめんどくせえなぁ。」って、あたかも上から目線で、自分のものさしに合わない人を笑いの種にしている人たちもいます。TVプログラムで、芸人さんたちが仕事でやってることと、自分が立っている場所が同じだと勘違いでもしているのでしょうか。


「めんどくさいこと。」がすべてのソリューション(解決策)の源であることは、いうまでもありません。


そして、それが、誰にとって


「めんどくさいこと。」なのかってことです。


節電で、地下鉄の長い長い階段が


「めんどくさいこと。」として、仕事帰りの重い体にムチ打つようなことになったりします。


電力会社の責任がどうこうっていう論旨のすり替えに乗っかって


もう電力の垂れ流しという「めんどくさくない。」方向に簡単に流されはじめている現実。


自分の都合、自分だけの都合。


提供される商品やサービスは、細分化されて


かゆいところに手が届く状況で


それが当たり前で


知らず知らずのうちに


ちょっとでも「めんどくさいこと。」からどんどん引き離されてしまっている、プチ、洗脳されている現実。


「めんどくさいこと。」に


実直に、淡々と


いっしょうけんめい


立ち向かっている


美しさ。


他人を好きになって


自分の心が揺さぶられるのが「めんどくさい」から、と平然と言ってのける


恋人のいない人、人付き合いを拒絶する人たち。


そしてそれを「そうかそうか」と聞いてやって、物分かりの良い人を装っている


本質から目をそらして「めんどくさいこと。」から自分も逃げている人たち。


そういう気分のときがあることは


否定もしないし、排除しようとも思いません。


でも


やっぱり


「めんどくさいこと。」が


おもしろいことの


原石なんです。


それを


簡単に放り投げることもできます。


そう、いとも簡単に。


カッコウ良く、いろいろなことをこなせる人がいます。


努力していても人に感じさせない人もいます。


そういうところばかりに目がいって、憧れて


エッセンスだけをすくい取ろうと、ショートカットする方法ばかりに気持ちがいってしまう。


そして、それすら突き詰められない。



「めんどくせぇなぁ。」って言いそうになったら


それを飲み込んで


一呼吸おいて


「また現実逃避ですか。」って変換してみてはどうですか。



「めんどくせぇなあ。」っていう人が抱えている「めんどくせえこと。」ことはウェルカムですが



「めんどくせぇなあ。」って簡単に言っちゃう人は


それを正当化することに躍起になっている人は


やっぱり


さびしいなと思います。


強がれとか


弱みを見せるなとか


そんなこと言ってるんじゃないです。


目標や目的の達成にに近づくというプロセスは


泥臭くて


みっともなくて


「めんどくせえ。」ことのオンパレードなんです。


楽をしたいのなら


徹底的にそのことについて考えてみたらイイのです。


それすら


「めんどくさい。」んじゃ


ねぇ。





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少し前に、歳を重ねて


何かを伝えようとするときの


文章が長くなってしまっていることについて書きましたが


そんなお年頃じゃないにもかかわらず


表現はよろしくないですが


何度言っても


報告書やメールの文章がまどろっこしい人がいるのです。


そのまどろっこしさの源は


大概が


言い訳だったりします。


そして


ストレス耐性の弱いタイプにかぎって


ここぞとばかりにがんばって


壮大な自己弁護を繰り出してくることが多いのです。


そしてもっとも始末に負えないのが


ストレス耐性が高くて文章がまどろっこしい


いわゆる「残念な」というレーベルが貼られてしまうタイプです。


とにかく


ツッコまれる前から


言い訳、自己弁護のオンパレードで


とどのつまりは、世の中がおかしいからこうなるみたいな


どこまでズレたら気が済むんだという程の勢いがあったりして


下手なお笑いよりも笑えるような場合もあります。


特に外資系企業で


自分の過失を一瞬でも認めたら負けみたいな環境を経験してきたタイプもやっかいな文章を書いてきます。


見事なまでのロジカルな言い訳と責任転嫁


しゃべっている分には、それほどの違和感を感じないのですが


文章を書かせると


何を言ってるのかさっぱりわからない。


書いているうちにアツくなって、のめり込んで


自分で書いた内容を読み返すことなく


湯気が上がるほどの書きぶりだったりすると


いっしょうけんめい伝えようとしている行為に対して失礼かもしれませんが


はじめの3行ぐらいで読む気が失せてしまうみたいな。


さらにそのようなタイプの人は


一行がダラダラ長くて


改行もなく


これってQRコードなのかよってくらいにびっしりとフレームの端から端まで


書き込んでいたりもします。


ストレス耐性が低い相手には、当然、ペシャンコになっちゃうような指摘はできません。いや、できますが適当ではないという方が近いです。


冗談交じりに「文章長っ(笑)」くらいで注意を促しますが


次にくる文章が改善されることはありません。


ストレス耐性が高い相手には、ど真ん中のストレートで、「何言ってるのかさっぱりわからないから、箇条書きでもイイからわかりやすく書いて。」と伝えますが


これまた何にも変わりません。


日頃、「アピールできていない。」「なんだか話しを聞いてもらえてないような気がする。」という感覚もそんな人たちをアシストしたりします。


サボってるやつに限って


文章上でヘンに饒舌になったりもします。


みんな経営者や上司を甘く見過ぎです。


そんなことはほとんどが、お見通しです。


もちろんトンチンカンなというか、自分の事しか考えていない上司もいますから


目が節穴な場合もありますが


そんなゆるい組織は、遅かれ早かれ崩壊に向かうのみです。


報告を的確にせずに、情報を正確に伝えずに


評価されないと文句を言う人もいます。


「報告書を書くのってめんどくせえ。」って言っちゃうヤツは


アタマの中が整理されていない場合が多くて


問題を先送りにして、抱え込んで、発酵させて、しまいには腐らせて


大きな問題に発展させてしまうタイプです。


もちろん


報告を受ける側も


フィードバックもせずに


モチベーションを上げることの手を抜きながら


文句ばかり言っているのでは


報告すること自体が形骸化してしまっていて機能していません。


どんな人の顔が浮かびましたか。


その浮かんできた顔をじっくり見てみたら


鏡だったってことはないですか。


いっしょうけんめいと


伝わるということが


文字の多さや


文章の長さではないということを


共有できていますか。


言い訳上手を


知らず知らずのうちに


増殖させては


いませんか。






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スタッフのひとりの元気がいまひとつな感じがするとします。


ぼくは、積極的に声をかけるタイプなので


タイミングを見計らって、このタイミングを見計らってというのが、いまどきはとっても重要で


内容によっては、というか、もっというと質問に対する答えをある程度想定して


みんなの前で聞いてイイことなのか、言葉に詰まるような質問になってしまっていないかなど


いろいろと配慮というか、気遣いみたいなこともするようにしています。


同じように


反省を促すようなときや叱咤激励をするときも


相手のタイプとその時の状況を把握してアクションを起こします。


学校にいても会社にいても「叱られ役」みたいになっちゃう人がいます。


その現場にいっしょにいると理由が明確ではないのですが


要因は様々で


叱ったほうが伸びる、叱られても耐性が強い、その他のスタッフのスケープゴートというかガス抜きの対象になってしまっていたり


まれにそのコミュニティにフィットしようとしなかったり、フィットしようとしないというのは、言うことを聞かないとか、頼んだことができないというような場合だったりします。


自分の意思表示が得意ではなかったり、与える課題がずれ過ぎていても不幸な状況を生み出したりします。


元気のなさそうなスタッフに話しかけます。


「最近、体調とかで気になってることある?」


「元気なさそうに見えるけど」とか、「何か心配事でもあるの?」とやさしいようで、実は、追い込んでしまったり、限定してしまったりする聞き方も気をつけます。


シチュエーションも


みんなの前で、唐突に呼びかけるとか


一人だけを呼んで、社長である自分は座っていて、相手は立たせたままなどということも極力避けます。


ランチに誘ってなどというケースが多いです。


彼(彼女)は答えます。


「ちょっと、ウェイトオーバー気味なので、ダイエットしてて運動もなかなかできないので、食事を減らしているのです。」


「そうだったんだ、すこしパワーダウンしている感じがしてたから、体調でも悪いのかなと思ってた。」


「すみません。いままでの生活スタイルを変えようとして、無理してるところもあるかもしれません。」


「食事制限するのなら、栄養のバランスも考えながらじゃないとカラダ壊すから無理しないでよ。」


「そうですね。わかりました。」


「ところで、目標はどれくらいなの?現状より何%くらいなのかな?」


「〇〇%くらいです。」


「具体的にどうしていく予定?」などなどとコミュニケーションは続きます。


どのような内容にしても、現状を省みて、改善しようという気持ちは大切にしてあげたいし、大きくズレていなければ積極的に応援してあげたいとも思うのです。


その改善策(ソリューション)に具体性あれば、なおさらです。


その後、しばらく様子を見ていますが、やっぱり元気があるようには見えません。


パフォーマンスも低下していることはあきらかです。


ダイエットしていることを上司に認められたことが、甘えという方向性を出てしまったのかもしれません。


たとえば


ぼくも、ほぼ毎日運動をしています。


いつ運動する時間を捻出しているのかというと


みなさんが、まだ寝ている早朝(5時から7時)か、ランチを食べずに(11時30分から13時30分)の間です。(もちろん着替えやシャワーの時間も含みます。)


そして、運動後はクールダウンするからと言って、だらだらしたり、まったりするというようなことはありません。


お客様に迷惑をかけるというよなことはするわけもありません。


疲れたような顔をしているということもありえません。


無理をして装うとか、我慢をしているのでもありません。


自分の通常時の生活において


お金を稼ぐことイコール仕事をするということは優先順位が上位にあるはずです。


自分が、前日さまざまな理由で眠れなくて


ぼんやりしていたり


ダイエットのために元気がなく感じられたりすることは


軸がハッキリしていない


気持ちの良くない状態なのです。


ぼくは、遅刻の理由も本当のことを言って欲しいと思っていますし、そうお願いもしています。


「きのうの夜、どうしても観たいDVDがあって、ついつい。」


「ついつい」という部分は、今後の課題とするとして、どうしても観たいというもやもやを抱えて次の日のパフォーマンスが散漫になるのであれば、そちらを優先するというチョイスもアリだと思っています。


もちろん前日に申告してもらえるようならさらに良いのですが、ノリとか勢いみたいなものもありますから許容範囲は設けています。


「ちょっとお酒を飲みすぎて。」というのは、たまには良いですが、頻度が上がるとただのだらしに無い人になってしまうので、認められなくなりますが。

何を言いたいのかというと


会社に出社することが目的では無いのです。


与えられた時間内にどれくらいのアウトプット(利益につながるアクションという意味)ができるのかということです。


ダイエットが生活における自らの目的の中心になってしまっているのだとしたら


目標達成するまで休むか


いったん退場してもらうしかないのです

ケガを隠して、我慢してプレーを続けるアスリートはたくさんいます。


中には、連続出場という看板をつけて、実はチームに迷惑がかかっていることをうやむやにして試合に出続ける選手もいます。


この場合のプロフェッショナルは、それでお客様を呼べて、お金を稼げるという大前提があるから認められるわけです。

そんな人たちは、「痛い」ような顔をしたり、足を引きずったりしているでしょうか。


どんなに主軸でいても、ベテランになろうとも自分のポジションを確約されている選手などいません。


楽天ゴールデンイーグルスの元大リーガーさんも不調で二軍に行っています。


一般企業には、二軍などありません。(あるかもしれませんが、無いことになっています。)


会社で休憩しているようなら、即退場です。



自己アピールが上手な人とあまり上手くない人がいます。


それが、国の上層部だったりするとがっかりするのです。


現在の内閣総理大臣さんも経済産業相さんは、こちらのタイプの印象です。


さまざまな課題があってたいへんなことは理解できます。


寝食を削って対応に奔走されていることでしょう。


しかし


記者会見などでの疲弊ぶりや言葉の力の無さにやっぱりがっかりするわけです。


自分で話しているの内容すら自信が無さげというか


何を言っても言葉尻を、あげあしを取られるのではないかという恐怖感みたいなものすらにじみ出ています。


過去50数年も続けられてきた旧政権の失策のツケが一気に噴出していることもあって


厳しい状況にあることでしょうが


覇気や圧倒的なリーダーシップを伝えるようなプレゼンス(全人格・ミッション・存在自体・エネルギー)が感じられないのです。


ダイエットをして、元気をなくしているスタッフと何ら変わりがありません。


もちろん個人の事中心なのか国政中心なのかという前提の違いがありますが


「いや~、たいへんでたいへんで。」っていうのが先に見えてしまうのは


やっぱり、リーダーとしての資質の問題に思えてしまいます。


官房長官さんや総理大臣補佐官さんのコメントの出し方や対応力が優れて見えてしまうのは


能力の高さか、準備の仕方が上手なのか


好き嫌いの問題とは違うところに


決定的な差があるような気がします。


デリバリースキル(準備・発声・姿勢・ツール・ときにはジョークなど)の欠落に気をつけなければ、気をつけ続けられなければ情報を発信する側に立つことは控えたほうがイイのかもしれません。


簡単に退場させられない、してもらえない。


そのかわりに


誰もハッピーにならない。


ぼくは、基本的に現職の方々を応援しています。


他に選択肢を求めている場合ではないからです。


見栄を張れと言っているのではなくて


我慢しろというのではなくて


トップに立つということ


看板であるということ


人前に立つということを


意識して


圧倒的な存在感を


エネルギーを


感じさせていただきたいのです。


そうして


いたいのです。




きょうは月曜日です。


そして


月曜日は、調整日ではないのです。





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移動中や運動している最中にヘッドフォンやイヤフォンで耳をふさぐのが好きではありません。


学生の頃は、周りの迷惑も省みずに


シャカシャカと大音量で


お気に入りの音楽を


それこそ講義の最中でも聞いていたほどなのですが


いつの頃からか


当たり前だったことが、当たり前ではなくなりました。


いまになれば、明確な理由がいくつかあります。


たとえば


本を読む行為中に音を必要としない。


何か予期せぬ出来事が起こった場合に情報をいち早くキャッチできない。


思いついたり、浮かび上がってきたアイディアみたいな、ぼんやりした何かをキャッチしずらかったりもします。


日頃の仕事中には、うっすらと耳に入る程度のボリュームで心地イイ音楽を流していることもありますし


最近では、カフェでの日常的に発生してる音の弱めのシャワーの中で集中している状態が好きだったりもします。


ある部分で臆病になったのかもしれませんし


ようやく常識的な人間になったのかもしれません。


せっかく毎日1時間以上運動していて、それがそれほど激しいものじゃないのだとしたら


たとえば英会話聞きながらとか、勉強も一緒にできるんじゃないとか


ノリのイイ音楽聞きながらのほうがやる気が、モチベーションがアゲアゲになってイイっていうような意見も聞くのですが


そこじゃないというか


もったいないのです。


スポーツジムみたいなところで、景色などそれ程変化が無い場合はそれもアリかなと思いますが


アウトドアで


いつも同じルートだとしても


言うまでもなく、全く同じ日というのは無くて


さらに自分の体調ですら前の日と全く同じなどということはありえないリアル。


息づかいや足が地面につくときの音


カラスが鳴いていたり


風が強くて木々がざわついていたり


散歩しているワンちゃんに話しかけている飼い主さんの声


公園で遊んでいる子どもたちの楽しそうな声


グラウンドでさまざまな競技をしている人たちの掛け声


雨の音


こんなお宝満載の日常にある当たり前のような音を


聞かないなんて


もったいないなと思うわけです。




連休の午後3時過ぎくらい


自転車の前に大きな補助イスを搭載して、まだ小さな男の子にヘルメットをかぶせて自宅への帰り道だと思われる若いお父さん。


その後ろをいっしょうけんめい小さな自転車で追いかける幼稚園の年長さんか小学校1年生ぐらいの女の子。


そのおとうさんは、連休を利用して二人の子どもを連れて、普段は忙しくてなかなかいっしょに遊ぶことができないこともあって公園にやってきたのでしょう。


午後3時過ぎという時間的な側面や、きっと久しぶりであろうという状況から推測をすると


自転車をこいでいるおとうさんの顔がお疲れモードなのもわかるような気がします。


楽しかったけど、ちょっと疲れた。家に帰ってちょっぴりお昼寝でもしよう。家族サービスという父親の役割もとりあえず果たせたし。みたいな。


いっしょうけんめいに遅れないように自転車をこいでいる女の子が


ちょっと息をきらせながらも弾んだ声でおとうさんに話しかけました。


「ねぇねぇ、おとうさん!いまから帰るでしょ。おうちに帰ってからさぁ、みんなでなんかして遊ぼうね!」


「・・・・・・う、うん。」


おとうさんが、反応するまでの微妙な間が


こういう空気感がおもしろいのです。


こういう情報が、聞こえないのだとすれば


やっぱりもったいないのです。



大きな補助イスを自転車の後ろの荷台に搭載した見た目にもそれだけで相当重たくなっているであろう自転車をいっしょうけんめいこぎながら


後ろに小さな娘さんをのせて、おだやかな表情とにこやかなトーンで話をしている小柄な若いおかあさん。


川の両側にある遊歩道。


ぼくがいつも歩いたり走ったりしている場所です。


その川には何本も橋が架けられていますが


橋が架けられている部分にくると、それに合わせて遊歩道もアップダウンがあったりします。


五日市街道とクロスするところに架けられた橋のところは


かなりの傾斜の坂道です。


そこへ、女の子をのせておかあさんとともに自転車がやってきました。


その上り坂にアプローチする瞬間に


発せられたひとこと


おかあさんが、自分に言い聞かせるように


娘さんにも聞こえるかどうか微妙なボリュームで


かみしめるように


口にした


ひとこと



「がんばれ、おかあさん。」



子どもの安全最優先で重くなった自転車を必死にこいで


急坂を登り始める瞬間に


自分に向けての叱咤激励をも含めた


そのひとこと。


もう、後ろから押して助けてあげたくなるような何とも言えない瞬間。


そういうのが聞こえないのだとしたら


やっぱりもったいないと思うのです。


もちろんいつもいつも他人様の会話に聞き耳を立てているわけではなないです(笑)




好きな音楽をヘッドフォンで聞くことは、それはそれで良いでしょう。否定はしません。


それが、そうする行為が、自分の世界、自分の境界線を強固にガードして


コミュニケーションを拒絶していることになっているのだとしたら


やっぱり


もったいないし


さびしいことだなって


思うのです。


最近


生身の誰かに話しかけましたか。


昨日


生身の誰かの話に耳を傾けましたか。


耳をふさいで


心の扉も


ふさいでしまっていませんか。





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ブログの文章を読んで


共感してくださったり、なにかの気づきのきっかけになったり


アタマの整理ができたなどということで


コメントをいただきます。ありがたいことです。


「自粛」について


すごくわかりやすいコメントをいただいたので紹介します。(こういうのは初めてかもしれません。)


一部分のみ抜粋となりますが、的確です。


「自粛とは、よそ見をせず自分のやるべき事を粛々とこなす事ですから、人によって違う『やるべき事』を一律に並べてどうこう言う事自体、自粛の姿勢から大きくズレてます。」

このいただいたコメントは、なんてったって、先にある定義がビシッと明確です。


「よそ見をせずに分のやるべき事をとこなす。」


まったくもって、その通りです。


そしてそれだけで終わるのではなくて


「人によって違う『やるべき事』を一律に並べてどうこう言う事自体、自粛の姿勢から大きくズレてます。」


ご自分の考えも本質を端的に言い表していてジャストミートです。


当社のスタッフとしてお迎えしたいくらいです(笑)


コメントをくださった方のブログはいつも短い文章で、いいリズムです。


短い文章でわかりやすいで、思い出したのですが


秋元康さんがあるテレビ番組でこんなエピソードを話されていました。(記憶が100%ではありませんが、内容はズレていないはずなので、ご了承ください)


「AKB48のメンバーから相談のメールが来ます。ぼくも結構忙しい中、真剣に考えてメールを返信するわけです。ある程度の長さの文面をいっしょうけんめいに返信するわけです。


 そしてそのメールに返信が来るんです。


 「了解チョキ


 オイオイ、わかったのかよ。必死にというか真剣に答えたんだけど、なんだよ、みたいな。(一同爆笑)」


続けて


「まだ、返信が来るヤツはましな方で、返信すらよこさないメンバーもいる。」


すると同席していたメンバーの一人が反論というか、意見を述べるのです。


「内容が深すぎて、なんて返信してイイのか悩んじゃうんです。」


「でも悩んでるうちに寝ちゃうんでしょ。」


「え~っと、・・・・・・ハイ。」(一同爆笑)



内容は異なるのですが


似たような経験があったことをさらに思い出しました。


あるコミュニティで20歳代の心が少しだけ疲れている女の子(女性という表現のほうがイイかもしれません)とコミュニケーションを取る機会がありました。


昔から女性に相談にのられることが多かったりするのですが


一応、異性であるぼくが、安全パイというか、人畜無害というか、それはそれで微妙だったりします。(笑)


みなさんも経験があると思いますが、相談されるというのは


何かをアウトプットすることじゃなくて


真正面から「話を聞く」ってことなんですよね。


そして、ほんの少しのなぐさめや助言や違う切り口のモノの見方や


時には、ちょっと辛口の叱咤激励などを


呼び水のごとくにスーッと一滴


乾いて、傷ついて、ボロボロになりそうな


あやういタイトロープの上で必死にバランスを取ろうとしている心に流し込むみたいな感覚でしょうか。


幸いにも


かなりの確率でハズシが無いらしくて(自慢ではないです。が、自慢にしか聞こえないですかね。)


そういう意味での信頼関係を構築できている女性の方は、少なくないと思います。


「あなたはそうでなくても相手が、恋愛感情に移行してしまうことって無いですか?」これも良く聞かれる質問です。


なんとなくっていう雰囲気になっちゃったなってことはないこともないですが


愛情をもって接するの愛情ってヤツの質がほんの少しだけ違うというか


無理やりたとえるならこれこそがうまく表現できないのですが


大リーグのマリナーズに所属しているイチロー選手が


バットの芯を意図的に外して、ヒットにするみたいな感覚というか、それこそ、わかりづらいかもしれませんが、そういう感じなのです。


話しを元に戻しましょう。


その彼女からケイタイのアドレスにメールが来ました。


内容は、とっても具体的な悩みで、何度も何度も直接会って、ときにはお酒を飲みながら話しを聞くというようなシチュエーションもあったりしたので、ある程度は彼女の生い立ちやこれまでの人生などについて情報がインプットされていました、もちろん現状も踏まえていましたから


ぼくは、いっしょうけんめいにメールの返信をしました。


程なくして、彼女からメールの返信が来ました。


一番最初に書かれていたことは


「こんなに長いメールもらったのはじめてです。」


そこに嫌味などという陳腐なモノがぶら下がっていなかったことは言うまでもありません。


文字数は、いつものぼくのブログの三分の一くらいの分量でしたが


彼女の素直な感想でした。


そこで、ぼくはハタと気がつくのです。


「歳をとって、文章が長くてわずらわしくなってんのかなぁ。」


逆に若い子たちって


伝えたい気持ちを


どうやって簡素化した文章や文字に乗せているのかなって。


そういう考えこそが、歳をとった証拠だとツッコまれると返す言葉が無いかもしれませんが。


そうそう、この「文章が長い」ということについては、もう一つ書きたいことがあるのですが


それこそ長くなってしまうので


このへんで一息ついておくこととします。



「了解チョキ




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