「もう子供は産みたくない」そういった私の言葉に夫はどうしたのか?それが今の私達の全ての答。 | 【全国対応:名古屋の求人広告代理店】株式会社求人企画/取締役社長カメラマン森亜衣の戯言!

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↓こちらが前回の話。

出産の時の事故(弛緩出血って奴だけど)ってなんだったんですかー?って聞かれたので。




「もう子供を産みたくありません」



それは私にとっては色々なものを最後にできる
唯一の選択肢でした。



二人の子供を産んで
仕事を奪われ選択肢を奪われ
孤独な独り育児に疲れて
望むものを手放して
成果の見えない過重労働に耐えた私の。



今の日本の文化は無言で
「母親が育児をすべし」という圧力を振りかざしてきており
パパが育児をしたら
「すごーい!協力的!」とかいって褒められるのに
ママがちょっと夜誰かと飲みに行ったりしたら
「育児放棄」とか平気でたたかれる社会。

とはいえ、ママだからって
育児が楽しくて仕方がないって人間ばかりじゃない。
向いてる人間と向いてない人間がいる。

それをカスタマイズして助け合っていく事すら
まるで悪かのような世界。

何故か100%母親に育児責任を押し付けるかのような圧力が。
社会も。
価値観も。
文化も。
驚くほど当然のように全部母親責任かのように
振る舞ってくる世界。

保育園の父母会の男性の割合なんてほぼゼロに近く。
連絡網も当然のように母親に回ってくる。

誰もそれに違和感を感じないという違和感。

同じ職場で働いていた事もある夫が
バリバリ働いていて
私は仕事を失っている現状。



悔しくて
羨ましくて
妬ましくてたまらなかった。




だからもう仕事をしたいと思う私の願いはもう
子供をこれ以上産まないという選択肢を選ぶ事でしか
叶えられる事はないと。



そう思った。



私は絶望をしていた。
夫の前で泣きじゃくって許しを乞うていた。
貴方を愛してるけれどこれ以上はもう無理だ。
私をもう許してくれと。




実は私は当時結構珍しかった
共働きの家庭で育った。



父親は当時珍しくもない深夜まで
営業や飲み会で帰ってこないようなサラリーマン。
母親は夜勤も多い看護婦。

一人っ子で鍵っ子。

時代背景から言うとかなり母親的には立場はきつく
父親的には当時からするとかなり協力的ではあったにせよ


それでも違和感はそのころから根強かった。




大人になって事情も色々わかるようになって。
それなりに親達も頑張っていていたって事もわかるけれど。

周りに理解されずに辛そうな母親を見るのも辛かったし。
自分が負担になっていると感じるのも辛かった。
何度も自分なんかいなければいいんじゃないかって思っていた。


そして自分が母親になった時。
私の中でひとつだけ子育てに関して思っていた事があった。



「子供のせいにしたくない。」



やりたい事を自由にやる母親でありたいと。
子供にとっても子供の為だといって無理を重ねる親より
その方が救いだと思っているし、
子供に教育がどうこうという時間があるなら
自分自身がより成長するようにした方が、
よほど教育にいいとも思っていた。



だけどもう限界だった。


子育てを手伝ってもらおうと思っていた母親は
一人めを出産後すぐにがんになって入院してしばらく闘病生活になり
少し回復したあたりで二人目を出産した時には
母親の同居していた祖母が倒れ介護状態になった。












 

「もう子供を産みたくありません」




今いる大切な子供達にいきいきした姿を見せながら
働き続けたいという選択肢を選ぶには

もう一人という選択肢は私には選べない。

どうやっても無理なゲームだと判断したのです。









多分、


たいていの物語は


ここで終わる。

















…でもそれははじまりでした。



  


夫は私を愛していたのです。


夫は私の為に全面的に働き方を
変える事を誓ってくれたのです。

私はその時、きっと初めて
夫に愛されていた事を知りました。

夫が仕事や会社と結婚していた訳ではなく
私と結婚していたという事を知りました。






そして。



おそらく今の会社では
それは実現できないという話になり
転職か独立(起業)かという話になった時。





…私は。

独立してくれと言いました。






私は夫が今の仕事をとても愛しているのを知っていました。
とてもやりがいのある仕事で社会的にもとても意味のある
素晴らしい仕事だという事も知っていました。
そして夫は大変誠実にその仕事に向き合うたぐいまれな
素晴らしい人材である事の私は知っていたのです。
夫ほどこの仕事にプライドと愛を持ってやれる人はいないと
彼の仕事への情熱や熱意を尊敬していました。

仕事への真摯さ。
いざという時に決して逃げない忍耐強さ。
派手さはないなかに覚悟とひたむきな努力をする前向きさ。

だからこそ彼と私は結婚したのです。


夫の才能を活かしたかった。

 



求人広告という仕事は。
企業が人手が足りなくなった時に
まず一番最初に
相談しやすい場所になるところ。

まず自分が。
そして自分の会社に。
そしてこの地域に少しづつでも。

悲鳴をあげる人々の為に。
選択肢を奪われる前に選択肢が
増やせるように。

働き方の多様性をこの地域にもたらす為に。

彼の才能を
活かしたいと思った。



その為に私は身を粉にして働きたいと思ったのです。
それこそが私の仕事だと思ったのです。





現在まだまだ2年目。
お取引先は350社と
すさまじいスピードで増えていますがまだまだ。


 


 




この物語が今。
現在進行形で進んでいます。






是非、一緒に未来へと貴方も行きましょうね。
 

 

ゆるゆる起業ストーリーについて話をしてみたらこんな感じになったの図。笑

 


 

 


 

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