コペン
今はこんな車を乗り回してたりもするわけで


退院後は、ジェットコースーターのように体調の波を繰り返しながらも、だんだんと着実によくなっていきました。
身体がどんどん軽くなり、ふわふわとまるで雲の上を歩いているようでした。

一度お風呂で、自分の背中を鏡で眺めてしまったことがあります。
あんまり身体が軽いから、もしかしたら羽根が生えてるんじゃないかって思って。
結構真剣に。

寝ていても思わずニコニコしちゃうほど、楽なのでした。
かがんで物を拾う時に、お腹に手をあててかばうクセがあったのに気がつきました。
丸まっていた背中が後ろにひっぱられます。

癒着のない身体。
ほんとに、天国にいるようでした。


阪大の先生にも報告しました。内膜症の関与を疑ったようでした。
違うのにー。でもうまく説明できないし。
「とにかく良くなってよかったね」と言ってくれました。

倦怠感も抜けてきて、運動も少しずつできるようになり、社会復帰も考えるようになりました。治るとわかれば、私はもう一度人生のリスタートをしなければいけません。

と、そこまできてウツ状態になりました。


これだけ劇的に回復するわけだから・・・。
全部、最初の手術をした医者が悪いのです。

どうしてくれるのさ。私の20年返してよ。

気がつけば生活の全部が、ダルイことを前提に成り立っていました。そのダルイのがスコーンと抜けたら、私はどうしたらいいんでしょう。
将来を考えようにも、自分自身さえわかりません。果たしてダルくない私は、どんな人間なんでしょう。
ダルくない私はちゃんとコツコツと努力ができる人なのか、それともやっぱり適当に手を抜いて要領よく片づけてしまう人なのか。
進路に悩む高校生の気分。でもそんなに回り道をする時間もない。
そんな目にあうのも、全部あのヤブ医者どものせい。

私が過ごすはずだった別の20年。

恨んで、怒って、泣いて、後悔して、悔しがって、地団駄ふんで。
ネガティブな感情が一気に押し寄せてきました。
1ヶ月ほど。

1ヶ月で飽きましたけど(笑)。

泣いたってどうしたって、戻ることはできないのだし。
病気って、どんな病気にしろ、その人にとってとても理不尽なものだと思うし。
私はとりたてて不幸だったというわけではないし。
むしろ20年だるかったにしては、なかなか楽しく過ごしてきたし。

思い通りに1点の悔しさもなく人生を終えられる人なんて、たぶんいないでしょう。
だからもうほんとは先生のことも恨んでません。そんな感情持っていたくないから。
とにかく前に進むしかないわけだしさ。

このこだわりのなさは生まれつき? それとも長い病歴ゆえ?
どっちでもいいさっ。


社会復帰の準備をしつつ、ふわふわと軽い身体になれるのに半年ほどかかりましたか。

ところが慣れてくるに従って、再び寝込む日が多くなっていきました。
だんだん、寝てばっかりの毎日が続くようになってしまいました。
あれれれれれ?

やっぱり治ってないや、と、自分で認めたのは2ヶ月寝込んだ後でした。


とどめに。
「ぜったい良くなってるから」と言って阪大でやってもらった再検査、研究用の特殊検査まで2度目、結果が出てきました。
単純ヘルペス抗体価、NK活性、DHEA-Sともに、あれほどダルかった初回の検査より、むしろ悪化してました。
なんでやねーん。