この頃の私は、毎日時計を見つめながら生活していました。

10時になったら起き上がって洗濯物を干そう、いや11時になったら、お願いあと5分だけ、あと10秒だけ・・・。
3時になったら起き上がって買い物に行こう、いや3時半、お願いあと5分だけ、あと10秒だけ・・・。
5時になったら起き上がってお米をとごう、いや5時半、6時、お願いあと5分だけ、あと10秒だけ・・・。

なんとか買い物には行けるものの、帰ってきて玄関でぐったり座り込み。そのまま気が遠くなって2時間経っていたということもありました。
エレベータが辛い。ガタンと上昇を始める時に、膝がくだけて倒れそうになる。かといって階段なんてもちろん上れません。

米をといでは休み、野菜を洗って休み。手を抜くだけ抜いても食事の支度に2時間かかりました。
下ごしらえが終わって休もうと思ったら、ソファーまでたどりつけず床の上で失神していたこともありました。

睡眠薬をのんでも2、3時間ウトウトするのがやっと。昼間一日中ゴロゴロ寝ているのに、まったく眠れません。
たまに怒濤のような倦怠感が襲ってきて、ベッドの上で身もだえしていました。足腰が特にだるく、自分でガンガンと足をたたいて痛みで誤魔化さないと、耐えられないだるさでした。

夫は検査で異常がないものなど、理解できない人でした。
食事が作れないということは、夫が自分で調達しないといけないということです。ほこりが舞っていることに文句は言わなくなったけれど、積極的に何かをしなければいけないのは。

歩けるなら買い物に行けるはず。夕飯くらいは作れるはず。
きちんと話せばわかってくれる人ではあったし、今なら「できない」と、言えます。でも当時はそう言える余力すら残っていませんでした。

実家に避難することも考えましたが、遠すぎてたどり着けないし、実家はちょっと避難先には不向きだし。

八方ふさがりのまま、どうすることもできないまま、結局今日も、最後の1滴まで気力を振り絞って起きあがって、夕食を作らなければいけません。


今現在、同じような状態でいる患者さんがいるのは知っています。
ただ話のなりゆき上、書かないと進まないので書きます。
甘ったれと思ってください。
もう限界でした。
死んじゃおう、って思いました。

今までよく頑張ってきた。でももう限界。もういい加減許してもらってもいいくらい頑張ったと思う。
だからいいじゃない。

方法を、あれこれ考え始めました。

自殺というのは、周囲の人の心に一生消えない大きな傷を作ってしまいます。そんなことをしてしまうほどのエゴイストではありません。
だから、きれいさっぱり行方不明になる方法を考えていました。
身のまわりのものを少しずつ片づけ始めました。


でも。
結局のところ、私は死にたくはなかったのでしょうね。
ある日もう1人の私が言い出しました。

「それでもやっぱり、傷つく。あなたを大切に思ってくれた人ほど、大きく、深く傷つく。そんなことをしていいくらい、あなたはよく頑張ったのか」
「頑張ったじゃない。ずっとずっと、頑張ってきたじゃない。もう許してくれてもいいじゃない」
「あなたは逃げてただけじゃない。まだ何も闘病してない。病気と闘ったことないじゃない。こんなものに負けて、くやしくないの?」


マンガ的に言えば10tハンマーで頭をガツーン、って感じ。

そうでした。体調不良となんとかうまく折り合いをつけてやってくることだけ、頑張ってました。一生このままなのかと思って絶望してたのでした。そうして逃げ回っていたのでした。

でもこの体調不良は、体質とか仕方ないものじゃなくて、病気です。病気なら原因があり、それを治せば、治る。
だって異常だもん。こんなにダルイのはどこかが悪いからだもん。

私はまだ何もしていない。このままでは死ねない。全部やって、やって、やりつくしてからじゃないと。
これまでの人生全部と、将来も全部賭けて、今は戦う時なのだ。
戦ってやる。
それでダメだったら死んだらいい。
でも私は絶対に負けない。最後に勝つのは私だぁ!

やっと、闘病が始まるのでした。


この時点でもまだ病名もない状態だったら、私はやっぱり死んでないかもしれないけど、もしかしたら死んでたかもしれない。
だからCFSの病名と、その診察と研究を続けて下さってきた先生方には、とても感謝しています。この後の展開がどうあれ、です。