8月に東京に用事があり、車でいってそのまま実家に帰ることにしました。
着いた頃には私もかなり体調の悪い状態でした。

翌日、自宅療養していたいとこのお見舞いに行きました。

余命がもうないはずの彼女は、すっかりやせ細って、それでもまだ目は元気で。
起きあがることもできて。子供がかわいいと。

「じゃぁ早く治さなきゃね」
「うん」

力強くうなずいていました。


翌朝、急変したので救急車に乗せるとおばさんから連絡があり。

病院に駆けつけた時には、もう亡くなっていました。

「家族がそろうまで延命しますかって言われたんだけど、もういい、よくがんばったから楽にしてあげてって、言っちゃった」
おばさんが泣きながら言っていました。

私はね、ほんとうに、ほんとうに代わってあげたかった。
涙が止まらず、ついぽろっと言っちゃいました。

おばさんが驚いた顔で私を見ました。
失礼なことを言ったものです。誰よりも代わってあげたかったのはおばさんだったでしょうに。

「私・・死神つれてきちゃった」
「そんなこと言わないで。最後に会えるまでがんばって待ってたんだって思ってよ」
おばさんになぐさめられてどうする>私。

遅れてかけつけてきたおじさんが号泣する姿は、見ていられませんでした。


家で葬儀をするというので、おばさんの家に行き片づけやら準備やらしていたところに、やがていとこが戻ってきました。
お化粧をしてあげて、カツラをかぶせてあげたら、かわいかった頃のいとこでした。
今でも目に焼き付いています。
忘れることは、できません。


その日の夜、私は大阪に戻る予定にしていました。
ただ葬儀に合わせて滞在を延ばすつもりでした。
ところがちょうどお盆の初日で、お坊さんがつかまりません。
葬儀はお盆明けになるかもしれないということで、帰ったら、と言われました。

「お葬式なんて形式だし、もういいでしょ。やっとやって来たと思ったら、おいしいところ全部もってっちゃって」
どこまでも相性の悪い母と娘なのでした。


渋滞を避けるために夜出発。
1人で、大声で泣きながら、土砂降りの高速を走りました。
途中でまだ渋滞していたので、サービスエリアに車を止めて車内で仮眠をとり、大阪についたのは明け方でした。

玄関に入るなりズルズルとその場に崩れ落ち、私はそのまま、動けなくなりました。


「あんたドラマの見過ぎとちゃう? 芝居がかってるのよね」
「気のせいなんだから。さっきまで運転してたんだから。ほらまず指を動かしてみなさい、動くはずだから」
2時間ほどずっと言い聞かせ続けましたか。なんとか這って台所にいって睡眠薬をのみ、這ってベッドに転がり込みました。


寝て起きたらいちおう動けるようにはなったものの、まぁ激悪化ということで。