ちょっと緑な写真もいいかなって



退院後の経過も非常に悪く。
学校にはあまり行けず、日常生活もままならない状態でした。

術後のシンドイのに加えて、更年期だって。この年で。

「卵巣を1つとったから。でももう1個が補完するようになるからそのうち治ります」


私は受験生でした。そのうちに私の状態を見て親が言い出しました。

「大学は諦めろ」

冗談じゃありません、家出のチャンスです。
それだけは、それだけは。

とりあえず親の希望だった薬学部の推薦入学を見つけてきて受験しました。
いちおう試験などあったわけですけど、推薦入試の試験って、基礎知識の問題なんですね。私はホントは国立の薬学部じゃないところに行きたかったたわけで。
入学金おまけするからいらっしゃいましということで受かりました。

これなら文句はあるまい。
東京の一人暮らしの道はとりあえず確保しました。

そこから共通一次(当時はそう言ったのよ)にむけて頑張るつもりだったけど、気が抜けちゃったし、そんな体力ありませんでした。
まぁ、希望学部はまた来年受験したらよろしい。来年には治ってるだろうし。


出席日数が足りないと脅されながらも、なんとか高校卒業。
東京での一人暮らしは、そりゃもう楽しかったです。
微熱は下がらず倦怠感は抜けず、たまに高熱を出し。でも当初の目的も忘れて遊びまわってました。

ただ体調は、良くなるどころか、だんだんと悪くなっていきました。

オイオイ。


2年生も半ばになった頃、さすがにこりゃまずいんじゃないかと思いました。
だるいのもだるいけれど、困るのは、食べたものを吐いちゃうこと。

消化してくれないんですよ。
食べて8時間くらいたって戻しちゃったら全く未消化だったり。普通は2時間で消化終了で胃は空っぽのはずなのに。
あの頃食べたもの、半分くらい吐いてましたか。

そこで1年の時に高熱を出した時に行って、なんだか頼もしく見えたおじいちゃん先生のいる、原チャリで10分くらいの総合病院を訪ねました。


検査したところ・・・私の内臓は異常だらけでした。