なんかだるいなぁと思ったら
風邪気味っぽいというオチでした〜。

祖母の相続手続き完了。
お墓の移動ももう少し。
よくやってきたなぁ。
ひとり。1人。独り。
孤独と友だちと言えるほど。

宗教の勧誘をするつもりがないのに
話するだけ勧誘に思われたり
怪訝そうな顔されたり
正直セクシャルマイノリティーの個性よりも
吐き出せないしんどさはあります。
日本独特の雰囲気っていうかなんというかね。
日本神道系の八百万の神様を信じるのは良いけど
その上位にいる存在を信じるとなると
途端に認めたくなくなるような感じ?

仲良くなりたいけど距離を置くのは
自分に踏み込まれてきた時に
どうせコイツも離れていくんだろうなぁっていう
諦めと信用しなさすぎな心。

まぁ実際にそれで友だちを失ってきたのもあるし
冷たくて傷つくことを平気で言ってしまうのも
そういうところにあったり。

っていう言い訳もしたくないから
結局誰にも心開かなくなっちゃうんですけどね。

ソウルメイトと呼べるような友だち夫婦も
ちょっとん??って思うことがあって
それを言いたくなるのを抑える感じ。
自分の気持ちばかりを優先して
家族やお子さんの気持ちは??
少し自己中が過ぎるのでは??
と思ってしまった自分をまた責めるという
負のループアンドループで落ち込んだり。

自分の根本にあるものが信仰だから
常に自分を点検してる感じだし
驕るな!調子に乗るな!みたいな気持ちで
喜びも噛み締められないような
そんな感覚。
別にそれが調子乗ってるわけじゃないのにね。

生きてて楽しいかと言われると
そもそも楽しいって思うことに対して
それは神仏の視点から見てどうなのかとか
なにより自分自身が納得しないから
すごく厳しい自分なんだなぁって思う。
かといってストイックに何かしてるわけじゃないし
自己研鑽に励んでるわけでない。
だから本当に謙虚なのかストイックなのか
それはなんか違う気がしていて。
自分の羽を伸ばすことを止めている"何か"が
ずーっと心の中にある。

ソドムとゴモラの話が頭から離れない。
行きすぎた肉欲や情欲から街が滅びた話。
自分もその中にいた気がする。
欲にまみれて生きてきたことを
すごく後悔してる気がするの。
自己中になるために自己中になる。
この禅のような目標に対して
どのように自分は取り組むべきか。
その時代がまた今世出現しようとしている。
むしろそれ以上に混沌した
肉欲にまみれた世界が広がっていこうとしている。
それを止めるために生まれてきたのではないか。
本当に心を救うのは宗教であり
そこにあるのは律する厳しさも含めた優しさ。
今世を同性愛で生かされていることの意味は
きっとその時代を乗り越えて
新たな境地に人間を進化させるための
ひとつの文明実験のやり直しの機会が
今与えられているような
そんなことを思っています。

確かに苦しいよ。自分も苦しい。
世間で言う普通の好きができて
結婚して子どもを授かってっていう
この地球の発展のシステムから
自分は取り残されているような被害者意識が
いつまで経っても抜けない。
でもそんな自分にだからこそ出来ることが
何かあるんじゃないかと
常に模索して隣人のために尽くしたいと思う
そんな自分もいる。

スケール感の大きな話がどうしても心に浮かぶ。
救われたいから救いたい側にいきたい。
隣人そしてその先の神仏のために
お役に立てる自分になりたい。
自分を消そうと思えばいつでも消せる。
神仏の御意図として
いま自分がこの時代を選び
そして親を選び生まれることを許された。
そして生かされている。
神様に懇願してきたかもしれない。
今世は絶対に人生の問題集を
できるだけたくさん解いて
そして人のお役に立つ自分になりますからって。

そう考えると
『公のために自己を差し出せ』という
心の底から湧き立つメッセージも
辻褄があってきちゃうんだよな。

死にたくてしょうがない人に
自ら命を経っても苦しみは続くという
ある見方からすれば非常に残酷な真実だけど
でも今が最低に思っていたとしても
死んで終わりではなく
それ以上に苦しむことになるかもしれないから
そんな風になって欲しくはないと
エゴかもしれないけどそう思います。

20歳過ぎだったか
自殺を仄めかしてきた友だちがいました。
今は結婚して子どもも授かったようです。
本当に生きててくれて良かった。

かたや死因が定かではないけど
自殺をしてしまったであろう友人もいます。
自分にとって初めての葬式でした。
なんかふと思い出してしまう。
なんとか救ってあげられなかったのかと。
他人事じゃなかったんですよね。
今こうやって書いてたら
供養したくなってきました。
肉体を失っても魂は生き続ける。
この絶対的な真理さえも
信じられない現代において
自分は何を言われても信じていく。
イエスの時代に体を張ってでも
そのご存在を護り抜く自分でありたい。

キーワードは『強さ』かな。

今世を女性として生きていたら
か弱すぎて死んでた可能性高いかも。笑

だから男として決めてきたのかもしれない。

こういうかもしれないでもいいから
積み重ねて確かめていくことを続けていこう。

誰も理解してくれなくとも
すべて神仏は見抜いて見守ってくださっている。

心の内を今日は言葉にして吐き出せたからか
少しスッキリしている。

まだまだまだまだ非力で未熟で
人間心の理解が足りない自分だけど
勇気を与えられるような存在になりたい。

これが心からの願い。