過去世の記憶なのか、争いか病気か子どもを失ってもなお信仰を貫き通した母のようなイメージが出てきた。というか今までもそんなイメージはぼんやりとあった。

それがただの悲劇のヒロイン的なものでしかないと認めたくない気持ちもあって。

そういうのも自分が許容してあげないと苦しくなる一方ですよね。なので今日はそんな自分も抱きしめてあげることにします。(急にどうした。笑)


2週間に1回エステにお邪魔しているのですが、


◯◯くんは優しい人だね。


と言われてそういえば先日のカラオケでも"良い人"っていう認定をしていただいたんだった。


自分が小中学生の時に言われた"オカマ"だの"女みたい"だのなんだのっていうのは実は優しさにあったのではないかと分析している。

そういうことなのかな??


自分をさておいてしてあげたくなるのって普通じゃないのか。。。お節介だなぁっていう自覚はあるけどみんな持ってる感覚なのかと思って、そのことをエステシャンのおばさんに聞いたらそんなことないんだってね。

人に見られていなくても誰かに見られている感覚は幼い時からあって、友だちがポイ捨てした空き缶を拾ってゴミ箱に捨てたり、トイレのスリッパを綺麗に並べたり、些細なことだけどそういうエピソードはいくらでもある。


霊的な感性は持っていたのかもね。

自分ではよく分からないけれどすごく勘が働くというか、相手のして欲しいことが分かることは本当によくあって自分でも不思議に思ってる能力。たまたまにしてはよくあることだから自分って捨てたもんじゃないなぁって思うことにしよう。笑


自分の良さを理解してあげること。

自分作りの基礎中の基礎科目かもしれない。

今日もそんなことを考えているのでした。


ありがたき幸せでごわす。