お久しぶりです!
けんでぃーどです。
前回の投稿からなんと、10か月以上経ってしまいました。。。
光陰矢の如しとはまさにこの事ですね(←ずっとサボってただけ)。
今回は、ご無沙汰しておりましたこの10か月の間にちびちびと進めていた(実はそれ以前から始めてはいた)取組をご紹介します。
それはずばり、写本です。
中世の修道僧が修行の一環として日々勤しんでいたあの写本…
あるいは、大学が発達してくると、大学提携の書店が有料で貸し出す未製本の原本(ペシア)を学生本人がカリカリと筆写したり、金に物を言わせてバイトに書き写させたり(←いやー堕落してますね)していたあの写本…
それが今や、もののワンクリックで簡単に済んでしまう時代になったわけです。
それなのに、曲がりなりにも21世紀の住人である筆者が、どうしてこのようなアナクロニックな挑戦で時間を浪費しているかと申しますと、実はこれ、筆者のイタリア語学習の一環なのです。
せっかくフランス語を勉強したので、ついでにイタリア語も習得したい(どちらもラテン語を起源とするロマンス語なので語彙・文法が似ている)と思ったものの、語学講座を受講するのもなかなか続かなさそうだし、金銭的な負担も大きい(むしろそのお金でイタリア旅行したい!)。
と、考えた末に編み出したのが写本でした。
これなら、本を1冊買ってひたすら書き写すだけなので、ひとりで落ち着いて作業が出来るし、懐も寒くなりません。
というわけで、さっそく自分の趣味趣向に合った本を探して手に取ったのが、イタリア統一運動(リソルジメント)に関する本。
イタリア人の学者先生の書く洗練されたイタリア語を思う存分盗みとってやろうという魂胆です。
まだ使い込みの浅い文法の教科書をいったん脇に置いて、読み始めて(写し始めて)みると、これが意外と楽しいので驚きです。
全然イタリア語も分からないくせに、ネイティブ(しかも一定の知的水準を備えた人)の書く文章がすらすらと書けてしまうのです。
まあ、書き写しているだけなので、当然ではあるのですが…
でも、この「書ける!」という感覚が絶妙に気持ち良くて、だんだん調子に乗ってくると、気がつけば何度も書く単語の綴りは手が覚えてくるから不思議です。
喩えてみれば、補助輪付きの自転車で野原を駆け巡っていると、ある日実はこっそりと補助輪が外されていることに気づく、みたいなイメージです。
もちろん、まずは文法・語彙を1から10までしっかり固めたい、というのもひとつの立派な考えです。
しかし、飽きっぽい方には、意外とこの写本というやり方は合っているかも知れないので、騙されたと思っておすすめします(これで本当に騙されちゃった場合はごめんなさい)。
最低限の文法・語彙だけ押さえてすぐに読み始めるというのは、麻雀で喩えると(今回は喩えまくります!)、平和(ピンフ)だけ覚えてまずは打ってみるという感覚に近いのかも知れません。
習うより慣れろ、と言うわけですね。
ただし、一応写した後は、精読するようにしてます。これは途方もない労力と時間が掛かるので、マストではないかなと思いますが、初めは1単語ずつブツブツ切って読んでいたのが、段々と分かるようになってきて、節のひとかたまりや文全体という単位で訳が見えてくるので、コピイスツハイを目指す方(ちょっとM極寄りの方)にはおすゝめです!
と書いてはきたものの、写本には恐ろしい悪魔が存在するって知ってましたか。
筆者もこの取組を始めてから何度かお目にかかったのですが、ティティヴィラスというんだそうです。
画像左端をご覧ください。
なんとも憎たらしい貌(かたち)をしています。
人が一所懸命書き写しているところに、写し間違いを誘う悪い奴です(属性がかなりスペシフィック!)。
やっぱり仕事帰りで疲れていたりすると、1行飛ばしてしまったり、それに気づかないまま1段落続けてしまったり…しちゃいます。
こういう時は泣く泣く全部消して書き直すのですが、これ、率直に(かつポジティブに)言ってかなりの精神鍛錬になります。
そして、バックスペースキーのありがたみがこれでもかと分かります。
とはいえ、こういうちょっとした辛い経験も、(あとあと振り返ると)中世の写字生と時空を超えて苦楽を共にできた気がして、なんとなく清々しくていかにも青春っぽい心持ちになったりもするものです。
筆者の写本生活ももう長くなってきましたが、恥ずかしながら、現在までの到達ページ数はわずか30ページあまりです。
途方もなく長い道のりではありますが、読了目指して(あと100ページ弱)引き続き頑張ります。
それでは、今回はこの辺りで。
ごきげんよう。