3 着々と進むニッポン植民地計画
〇 アメリカ軍の「二軍の統治」戦略
今まで“1:日本の貧困化の実態、2:2040年、日本は最貧国に転落する”でお話してきた内容を
簡単にまとめると、次のようになります。
まず、財務省が省是として推進する「緊縮思想」が日本に蔓延し続ける限り、日本政府が日本復活のために
必要な政府活動(例えば消費税減税や、デフレ脱却までの大型補正予算の継続、当初予算の安定的拡大など)が
すべてできなくなり、経済が衰退し続けることになります。
一方で、日本に甚大な影響をもたらすアメリカ、そして隣国の中国は今後も順調に成長し続け、日中、日米に
回復不能な水準の格差が拡大し、その結果、「アメリカや中国によって、日本がこれまでアジア、アフリカ、
南アメリカの小国が凋落していったような、事実上の『奴隷国家』=『植民地国家』と化してしまうことになる」
ということが不可避となるのです。
ついては、この“3:着々と進むニッポン植民地計画”ではその「事実上の植民地」というものが具体的に
どのようなモノなのかを、描写していくことにしましょう。
「植民地国家・日本」の未来を考えるうえで忘れてならないのが、「日本はすでにアメリカの事実上の植民地
支配体制化に置かれている」という事実です。
日本は先の大戦・大東亜戦争に敗れたときに、アメリカに支配され、統治される状況に置かれました。
その後、「1952年のサンフランシスコ講和条約から主権を取り戻した」というタテマエ上はなっていま
すが、それはあくまでもタテマエであって、「本来の主権を日本は取り戻すことができてはいない」のです。
第一に、日本は軍隊を持つことをアメリカに禁じられました。つまり日本は、外国の侵略から日本を守る
という主権の中でも最も大切な主権を奪われてしまったわけです。その代わり、アメリカは「日本を守って
あげる」というタテマエの下、米軍を配置することとしました。
この米軍は、タテマエ上、「諸外国から日本を守ってやる」ということになっていますが、実際には、日本
を支配・統治するための監視役として置かれているのです。
一般にこうした戦略は「瓶の蓋論」と現実の政治学において呼ばれています。同時に、アメリカの潜在敵
国であるロシア、中国、北朝鮮と戦うというアメリカの極東軍事戦略のための軍隊として、アメリカは配置
しているのです。
こうしたアメリカ軍の戦略は、一般に「二重の統治」戦略とも呼ばれています。つまり、アメリカは日本を
統治するという「一番目の統治」を図ると同時に、軍事的覇権をもって極東の統治を進めるという「二重目の
統治」を図る目的で米軍を日本に駐留させているのです。
さて、アメリカはこの「二重の統治」戦略のために、日本の国土を自由に利用できる「権利」を持っています。
その「権利」は、「日米安保条約」、並びに、そのための詳細を記述した「日米地位協定」によって法的に保障さ
れています。アメリカはそうした法的に定められた、日本の国土を自由に略奪的に使用できる権利を駆使して
、沖縄の県土の三割や、かつての日本海軍の本拠地であった横須賀港の大多数の埠頭、国内最大の商業港である
横浜港の最優良埠頭、そして、東京のスグ脇にある横田基地の膨大な体積の横田空域などを、自ら思うがままに
使用しています。
〇 アメリカ主導の侵略的改革の実態
以上は、アメリカの軍事戦略の観点での日本の植民地化の実情ですが、経済に対しても、アメリカは日本の
主権を事実上認めない侵略的改革を戦後、繰り返してきました。
その侵略的改革は、先の章で確認したようなスペインによるフィリピンの諸改革と同様のもので、第一に、
GHQによる占領統治期間に、「民主化」という美名の下、日本の国力を徹底的に弱体化するためのさまざま
な「改革」を強行しました。(戦後改革)
日本の産業の中枢的存在であった財閥を解体する(財閥解体)と同時に、日本の各業界が持っていた業界的
自治権をすべて剥奪しました。(工業組合法停止)。農業においては大地主を解体していきました。(農地改革)
さらには、都市や港湾について政府が持っていた権限もすべて解体しました。
こうして、GHQは日本経済の中枢部分を弱体化すると同時に「文化」のすべてを、アメリカの「都合」に
合わせて「改革」していきました。
食生活はアメリカ農家が儲かるように米食文化からパン食文化への改革が強行されました。日本人の教育
の中心であった教育勅語は廃棄され、教科書すべてが書き換えられ、英語教育が強化されました。
あらゆる報道がGHQの検閲対象となり、日本の言論空間すべてにおいて、「水も漏らさぬ」勢いでアメリ
カナイゼーション(アメリカ化)が強力に推進されていきました。日本の伝統文化の中心である皇室について
も弱体化され、多くの宮家が皇室から切り離されることとなりました。
こうした諸改革の流れは、フィリピンの植民地化政策の初期段階で、現地語ではないスペイン語教育が進
められ、現地宗教ではないキリスト教化が推進されたものと全く同じ流れです。
こうして戦後日本は、戦前の日本とは大きく異なる、自由と民主主義を大切にするというタテマエの国家
へと大転換を果たしたわけですが、それは要するに、それまで日本が培ってきた産業構造や文化というもの
をゴミ箱に捨てて、舶来のお仕着せの文化を表面的に身に纏うことになったということです。
・・・・続く
〇 アメリカ軍の「二軍の統治」戦略
今まで“1:日本の貧困化の実態、2:2040年、日本は最貧国に転落する”でお話してきた内容を
簡単にまとめると、次のようになります。
まず、財務省が省是として推進する「緊縮思想」が日本に蔓延し続ける限り、日本政府が日本復活のために
必要な政府活動(例えば消費税減税や、デフレ脱却までの大型補正予算の継続、当初予算の安定的拡大など)が
すべてできなくなり、経済が衰退し続けることになります。
一方で、日本に甚大な影響をもたらすアメリカ、そして隣国の中国は今後も順調に成長し続け、日中、日米に
回復不能な水準の格差が拡大し、その結果、「アメリカや中国によって、日本がこれまでアジア、アフリカ、
南アメリカの小国が凋落していったような、事実上の『奴隷国家』=『植民地国家』と化してしまうことになる」
ということが不可避となるのです。
ついては、この“3:着々と進むニッポン植民地計画”ではその「事実上の植民地」というものが具体的に
どのようなモノなのかを、描写していくことにしましょう。
「植民地国家・日本」の未来を考えるうえで忘れてならないのが、「日本はすでにアメリカの事実上の植民地
支配体制化に置かれている」という事実です。
日本は先の大戦・大東亜戦争に敗れたときに、アメリカに支配され、統治される状況に置かれました。
その後、「1952年のサンフランシスコ講和条約から主権を取り戻した」というタテマエ上はなっていま
すが、それはあくまでもタテマエであって、「本来の主権を日本は取り戻すことができてはいない」のです。
第一に、日本は軍隊を持つことをアメリカに禁じられました。つまり日本は、外国の侵略から日本を守る
という主権の中でも最も大切な主権を奪われてしまったわけです。その代わり、アメリカは「日本を守って
あげる」というタテマエの下、米軍を配置することとしました。
この米軍は、タテマエ上、「諸外国から日本を守ってやる」ということになっていますが、実際には、日本
を支配・統治するための監視役として置かれているのです。
一般にこうした戦略は「瓶の蓋論」と現実の政治学において呼ばれています。同時に、アメリカの潜在敵
国であるロシア、中国、北朝鮮と戦うというアメリカの極東軍事戦略のための軍隊として、アメリカは配置
しているのです。
こうしたアメリカ軍の戦略は、一般に「二重の統治」戦略とも呼ばれています。つまり、アメリカは日本を
統治するという「一番目の統治」を図ると同時に、軍事的覇権をもって極東の統治を進めるという「二重目の
統治」を図る目的で米軍を日本に駐留させているのです。
さて、アメリカはこの「二重の統治」戦略のために、日本の国土を自由に利用できる「権利」を持っています。
その「権利」は、「日米安保条約」、並びに、そのための詳細を記述した「日米地位協定」によって法的に保障さ
れています。アメリカはそうした法的に定められた、日本の国土を自由に略奪的に使用できる権利を駆使して
、沖縄の県土の三割や、かつての日本海軍の本拠地であった横須賀港の大多数の埠頭、国内最大の商業港である
横浜港の最優良埠頭、そして、東京のスグ脇にある横田基地の膨大な体積の横田空域などを、自ら思うがままに
使用しています。
〇 アメリカ主導の侵略的改革の実態
以上は、アメリカの軍事戦略の観点での日本の植民地化の実情ですが、経済に対しても、アメリカは日本の
主権を事実上認めない侵略的改革を戦後、繰り返してきました。
その侵略的改革は、先の章で確認したようなスペインによるフィリピンの諸改革と同様のもので、第一に、
GHQによる占領統治期間に、「民主化」という美名の下、日本の国力を徹底的に弱体化するためのさまざま
な「改革」を強行しました。(戦後改革)
日本の産業の中枢的存在であった財閥を解体する(財閥解体)と同時に、日本の各業界が持っていた業界的
自治権をすべて剥奪しました。(工業組合法停止)。農業においては大地主を解体していきました。(農地改革)
さらには、都市や港湾について政府が持っていた権限もすべて解体しました。
こうして、GHQは日本経済の中枢部分を弱体化すると同時に「文化」のすべてを、アメリカの「都合」に
合わせて「改革」していきました。
食生活はアメリカ農家が儲かるように米食文化からパン食文化への改革が強行されました。日本人の教育
の中心であった教育勅語は廃棄され、教科書すべてが書き換えられ、英語教育が強化されました。
あらゆる報道がGHQの検閲対象となり、日本の言論空間すべてにおいて、「水も漏らさぬ」勢いでアメリ
カナイゼーション(アメリカ化)が強力に推進されていきました。日本の伝統文化の中心である皇室について
も弱体化され、多くの宮家が皇室から切り離されることとなりました。
こうした諸改革の流れは、フィリピンの植民地化政策の初期段階で、現地語ではないスペイン語教育が進
められ、現地宗教ではないキリスト教化が推進されたものと全く同じ流れです。
こうして戦後日本は、戦前の日本とは大きく異なる、自由と民主主義を大切にするというタテマエの国家
へと大転換を果たしたわけですが、それは要するに、それまで日本が培ってきた産業構造や文化というもの
をゴミ箱に捨てて、舶来のお仕着せの文化を表面的に身に纏うことになったということです。
・・・・続く