某C様のブログを拝読していて、着古したTシャツを切り刻んで油を拭くとき、ちょっと哀愁を感じる・・・と
わかるわかる、私もそう・・・と
息子たちのスパイクやテニスシューズ捨てる時も、なんとなく「ありがとう」とつぶやきたくなるセンチメンタリズム
それは、ニッポンの土着民族たる自分が当然持ち得るアニミズムだと
そう信じて疑わなかった訳ですが
彼女へあるあるコメントを書き込みながらふと気づく
これは・・・
ただの「貧乏性」ってやつじゃないのか
まさに目からウロコ鼻から牛乳
(スミマセンスミマセン、先日テレビで久々に嘉門達夫みて)
そんなんで自分の来し方を想い、この自意識の強さに軽いメマイさえ感じるアラヒフであることよ
そんな給料日前のド金欠の昨日、読みたい本が近所の本屋に売ってないと嘆く会長にアマゾン川の渡し守をいたしましょうと、ついでにずっと読みたかった本をポチッと、すると世界中を高速で流れるアマゾン川、昨日の夕方のポチで今朝出社と同時に手にしたんでした
すごいというか、こわいよむしろ

先日、突然次男に申し送ってみたこと
「おまえの受験が終わったら、お母さんは心おきなくオタク道を邁進する」
それは気になる本をすべての道筋において関連性を敏感に嗅ぎ分け確認し入手していくというオタク道
思えば発端は中2になってすぐ
一人の詩人から始まり、彼の愛読書、交友関係、時代背景、気になって気になって大正から昭和30~40年代の文化人総棚浚え、それがあちらこちらへ枝葉を広げ、今も脈々と続いているという
あと、平安時代前後とか
そこからなぜかブッダやキリスト
そして、この本はなんの関係があるのかというと、とくに何もありません
ただ、知りたかっただけ、跳びはねる理由
じゃ、今までのくだりはなんだったんかね
ま、いいじゃないすか、夜も更けるよ
なんていうか、言語を使って、伝えたいことをいかにシンプルに最小の誤差で気持ちよく伝えるにはどうしたらいいのか、ということをずーっと気にしてて
そんな大層なことではないんだけれど
句読点とか
自分に素直に
そう、小4の時に教室に貼った目標が「自分に素直になる」
実は、自分の思いや感じたことをきちんと伝える手段を構築したい、ってことだったんだと思う
カッコよく見せようとかそんなヨコシマな気持ちに負けて表現をするのでなく
ちゃんと語彙を増やして
たぶん親や姉たちや友人たちにうまく言葉が通じない、と思うことがたくさんあったんだろな、きっと
英語がわからなくてビートルズかうまく歌えないとか
ちょっと違うかw
それで、行く年来る年なんです
もうすぐ半世紀
漠然と、ゆっくりとした変化を求める
それがなんなのか
私になにができるのか
模索してみる
たしか5~6年前にも、急に食品衛生責任者を取りに行ったことがあったな
あの時は保育園の給食さんになろうとしたんだ
すげー具体的
でも面接で落とされました
今思えば当然
なんか薄気味悪いもの
アニミズムと思い込んでた心理状態を、貧乏性だと気づくことができる年になったので、そろそろ薄気味悪さも半減してきただろうから
そう、やればできるとかいう思い込みをあっさり捨てて
いや、いまさら給食さんにはならんが
なんとなく自分の中で線路の切り替えレバーをどちらに引こうか、て心持ちなんです
息子らのお母さんであることが一番なのはなんら変わりはないのだけれど
まぁ、彼等も独立していくわけだ
長々と
整理整頓するために
混沌とした時代だから
ちっとも誰にも伝わらんかね
言ってることと違うわね
深夜のひとりごとだから
とりあえず長くなりすぎたんで
寝ましょう