28日の晩9時ぐらい、家で家族楽しくいつものようにご飯を食べて終わりかけてた頃、急に電話がなりました。おばあちゃんが入院してる病院からでした。母さんから父さんに電話が代わり、緊迫した感じで嫌な予感がしました。
もう心臓があんまり動いてなくて、危ないみたいや、と。
ずっと入院してて意識もあんまりなかったおばあちゃん。
すぐに病院に駆けつけた時には既に息を引き取っていました。

ちょうど1年7ヶ月前、おばあちゃんは肩の骨を折りました。高齢になってから寝たきり状態が続くのは、痴呆になる可能性も高くて、どうなるだろうと心配しましたが、そっから98とは思えない早さで回復して、また自分で歩いたりできるまでになりました。

しかし、もうすぐ肩が治ってから1年という頃に、急に脳梗塞で倒れ、入院生活が始まりました。
そっからはほとんど意識がなく、集中治療室での入院で、もう駄目だと誰もが思いました。お見舞いに行ってはこれでもかというぐらい泣いてました。
けど、ここでわたしのおばあちゃん!まだまだ頑張ってくれます!目が開いて、喋りかけると顔をこっちに向けてくれるぐらい反応してくれるようになりました。話すことはできませんでしたが、それでもおばあちゃんの生命力の強さにただただ驚くばかりでした。
普通の病院に移ることができ、リハビリも少しずつ始まりました。意識があるわけではなかったですが、反応はしてくれました。部活や学校の都合であまりお見舞いに行くことが出来なかったのが心残りです。
しかし、だんだん弱っていくのも止めることは出来ませんでした。
病院を変わらないといけなくなり、以前よりも寝たきりの患者が多い病院に移ることになりました。
息が荒くなったり、あんまり反応してくれなくなったり。やはり100近い身体では本当にしんどい毎日だったと思います。この病院に移ってからは本当にお見舞いに行く回数が減ってしまいました。ごめんねおばあちゃん。

怪我をする前もですが、怪我をしてからは特に両親が全力でおばあちゃんをサポートしていました。肩を怪我した時は入院はしていなかったので、動けないおばあちゃんのごはんやトイレなど、身の回りの世話は全て父と母がしていました。本当に大変だったと思います。親類があまり協力してくれないことも多々あり、長男の責任の重さや大変さ、人間味や思いやりのある人間になることがどれほど大切なことか、身にしみて分かりました。入院してからもほぼ毎日お見舞いに行き、着替えやタオルの洗濯物を運び、おばあちゃんに声をかけ続けてくれました。本当にありがとう。そして本当にお疲れ様でした。

今年で100になるおばあちゃん。生まれた時からずっと同じ家に住み、お菓子をくれたりトランプしたりテレビを見たりいろんな話をしてくれたり…思い出を挙げ出すとキリがありません。幼い頃に母を亡くし、大きな病気にかかり、それを克服したおばあちゃん。私はおばあちゃんが病院に定期的に通院してる姿をあまり見たことがありません。わたしの記憶では大きな病気をすることなく、90を過ぎても杖も付かずに1人でスーパーに買い物に行き、お風呂に入り、料理を作り、本当に凄いおばあちゃんでしたね。体育の先生を昔していて、その教え子や、違うクラスの教え子が時々家に遊びに来たり電話をくれたりしている姿を見てきて、とても慕われていて良い先生だったんだな、と思っていました。ほぼ最下位で入った師範学校で、すごい努力をして、卒業する時にはトップの成績だったという話を何回も聞いて、その都度わたしも頑張らないと、と喝を入れられていました。
昔大病を患ったことから、あまり長くは生きられないと言い続けたおばあちゃんに、成人式の着物姿を見せられた時はほんとに嬉しかったよ。

将来何がしたいか分からないって相談した時も、先生は良い仕事やと思うよ、けどあんたが一番したいことをしたらいい、がんばり、と優しく話を聞いてくれましたね。

もう姿形は無くなってしまうけど、いつでも空から、時には隣でずっと見守っていて下さい。
もっとこうしとけば良かったって思うこともないとは言えないけど、それでも21年間おばあちゃんと同じ家で一緒に暮らせて本当に幸せでした。楽しかった!学ぶことがいっぱいでした!

いつまでも泣いているわけにもいかないので、これからもおばあちゃんの孫として恥ないように、一生懸命生きていきます。
本当にありがとうございました。
そしてよくここまで長生きしてくれました。お疲れ様でした。
向こうの世界でもおばあちゃんらしく、新しい人生を歩んで行って下さい。
おばあちゃん、ありがとう!



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