私の症状とその経過 No.2 | 今日も元気におきらくごくらく~ACとうつからの脱出~

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幼い頃の辛い記憶&心の闇・うつ病と闘っています。
我が子たちに心配されない母になれるかな?

カウンセリングと併用で、パキシル30mgを内服してから数か月ほど経った頃だっただろうか。

子どもたちを保育園に預けるか、幼稚園に預けるか、我が家では大揉めに揉めていた。

どちらに預けるにせよ、かなりの激戦区。

すんなり2人同時に預かってくれる園は皆無だった。

1日も早く仕事復帰したかった私(私が最もイキイキと私らしく居られるのは仕事だろうと、カウンセラーに太鼓判を押された)は、義母に相談した。

これがそもそもの間違いの始まりだった。

結婚後、ずっと専業主婦を貫いてきた義母には、私の願望が理解出来ないらしい。

しかも完全に「3歳児神話」を信じ込んでいる。

結局3歳半になってから、無認可幼稚園への入園の運びとなった。

子どもたちから少し手が離れ、週に1時間でも仕事が出来ることは、私の大きな喜びとなり、症状も安定してきた。

そこで、パキシルの減薬を試みることになった。

まずは30mgから20mgへ。

2日位からまるで地獄の日々が続いた。

頭の中は、ずっと「シャンシャン」と音が鳴り続け、身体はフワフワ浮いた状態。全身の震えが止まらず、我慢できずに1週間後に無理やり再診した。

そこでパキシルの離脱症状だろうと診断されて、何故か「ジェイゾロフト」を処方された。

離脱症状は楽になってきても、処方は一向に変わらない。

ジェイゾロフトに移行するでもなく、パキシルとの併用が半年ほど続いた。

威圧感のある医師に、疑問を投げかける勇気が、私にはなかった。

ある時、内科に掛かる機会が生じた。

もちろん、内服薬については全て伝えなければならない。

伝えた内科医は驚きを隠さなかった。

そして、移行期でもないこんな処方に、保険が通ることが疑問であり、患者は無理でも、薬剤師から意見を述べて然るべき状況である、と言われた。

確かに、心身外来と看板は掲げていても、元は産婦人科医。

そこでようやく、キチンと精神科医に掛かろうと決めた。

ここまで来るのに、初診から既に3年近く経過していた。



つづく