一度まとめておかないと、自分でもどんどん忘れていってしまうので、このあたりでまとめてみようと思う。
産後暫く経った平成18年、軽い気持ちで近所の女性専門外来の門を叩いた。
子宮ガン&乳ガン検診を受けるためだった。
一週間後に、検診結果を聞くために再診へ。
授乳を止めてから一年経過したのに、止まらない母乳の事が気になり、暫く通い続ける事になった。
ガン検診結果は問題なかったが、その際その病院に「心身外来」なるものが存在することを知った。
基本「女性外来」をウリにしていたこの病院を、かかりつけ医にしようと決めた。
あわよくば、3人目の子どもを授かることも期待しながら…
当時私が抱えていた悩みは、今と殆ど変わらない、階下の家族との人間関係。
考え始めると、夜も眠れなくなるくらい、最高潮にイライラがつのっていた。
義父に対しては、子どもたち見たさのアポなし訪問。
双子の世話で精一杯だった私にとって、アポなし訪問された挙げ句、部屋の中を見回して「なんだ?この汚い部屋は…」みたいな表情を見せる義父が、不快でたまらなかった。
そして、義父の友人たちまで勝手に招いてみたり(もちろん接客などいたしません)、子どもたちの名前を紹介する時に、さも自分が名付けたかのように勝手に由来を「作り上げて」紹介みたり…
最も辛かったのは、完全なる偏重愛。ひとりの子どもは抱いて離さず、もう一人には目もくれない。
遊びに連れ出すのも、おもちゃの買い与えもいつもその子ばかりで、もうひとりは完全に「ついで」だった。
とにかく、デリカシーのかけらもない義父に嫌気がさしていた。
そして義母。
2人同時の育児は大変だからと、離乳食が始まった頃から手伝いをしてくれるようになった。
最初はありがたく受け入れていたものの、夫が出勤日の時は決まって、朝8時と昼の12時に階段を上ってくる。
ってことは、その時間に合わせて子どもたちの準備&離乳食の準備を済ませなければならない。
朝は私もその時間に合わせて着替えやゴミ捨ても済ませておかねばならなかった。
たまにはゆっくり眠りたい朝も、レトルトの離乳食で済ませたい昼も、なかなか思い通りにはいかない。
断れない私は、そんな生活が1年以上続いた。
断るきっかけは、手づかみ含め、子どもたちが「自分で」食べようという素振りを見せ始めた事。
もう大丈夫、と思い切って切り出したけど、「まだしんどいだろうから…」と、子どもたちが2歳になるまで続いた。
外出するときは↑な状態のため、事前に知らせておかねばならならなかった。
私と子どもたちのスケジュールを、階下のカレンダーに書き込まれることがイヤで仕方がなかった。
しかし身体に病を抱えている義母にとっても、さぞかししんどい期間だっただろうと、容易に想像は出来る。
心身外来に通い始めた頃は、カウンセラーさんと話すと随分気持ちも治まっていたけれど、とにかく予約が取れず、4~5週間に一度がやっと。
不眠、イライラ、動悸、階段を登る音に対する恐怖心、うつ症状、ストレスによる過食、体重増加に伴う容姿の変化、便秘……ありとあらゆる症状が私を苦しめる。
様々な症状を抱えたときに、パキシルを処方された。
最初は10mgから。
気付いたら、30mgまで増加していた。
つづく