3月23日(金)

運命の日だった。
朝5時半には起きて、準備を始めた。これも
この時間で遅かったんだ。民宿のおばちゃんが
朝ごはんは6時半と言ったので、じゃぁ7時頃に
出発で・・・と考えたのが甘かった。7時に出て、
11番の藤井寺に到着したのは、8時だった。
藤井寺山門
ここから次の12番・焼山寺へは8時間。
予定なら4時に着く・・・はずだった。
最初に山道に入るところで、ちょっと道に迷った。
この分がロスになって、後々響いた。

 
左:長戸庵 右:一本杉庵(見えづらいですが、
お大師さんが立っています)
焼山寺へ行く途中に、11番奥の院や番外札所が
3ヶ所ほどあった。人がいない。前にも後ろにも。
遅かったんだ、とこの時点で気がつく。間に合うの
かしら・・・不安になる。お寺に着いたはいいけど、
その後降りなければならないし。とにかく
辿りつかないと・・・。

パノラマ
荷物が重い。多分この時点でも10キロはあった
はず。肩も足(つま先)も痛い。新しいザックの
調整の仕方にイマイチ慣れていないせいか、肩が
とにかく痛い。ごまかしながら、登る。降りる。
また登る。また降りる。いくつ峠を越えたんだか、
わからない。最初の番外札所の長戸庵まで3時間
ほどかかった。次の柳水庵下に無料のお遍路
小屋があったので、ここで靴下を換える。後から
来た男性に抜かれる。きっともう少しと思っていて
着いたら、一本杉庵。最後の番外だった。15時だ。
納経してもらえるのは5時までだから、あと2時間。
ギリギリかもしれない。ところが、ここからが一番
きつかった。

登って下っての繰り返しで、梅林に出た。川岸だ。
急ぐ・・・小さな滝の脇を登って登って、登って
・・・5時過ぎた。(涙)仕方ないので、タクシーを
呼ぶことにする。携帯のアンテナはこの時点では
入ったが、目印がなく呼べない。先ほどの梅林
脇に、民家があったので、そこまで戻る。さっき
気がつかなかったけど、滝の近くにものすごく
大きな、多分鯉らしき「主」が泳いでいた。目の
錯覚かと思ったくらい。ポストに書いてある住所で、
携帯をかけようとしたら、圏外でかけられない。
どうしたらいいんだろう・・・。途方にくれる。
(民家はあるけど、誰もいない)
少し移動したら、1本だけ立つ場所があるので、
住所をメモり、その場所から電話をかける。電波が
悪くて、途切れ途切れにしか聞こえていないようだ。
どちらにしてももう前にも後ろにも進めない。
死にそうになっているので、なんとか探して来て
くれると言ってくれた。(´;ω;`)ありがとう神様・・・

30分はかかるだろう。配送料もかかると言われた。
もうそんなもん、どうでもよかった。早く来て
欲しかった。予約してある宿にも連絡がしたかった
のに、どうしてもアンテナ1本でもかからなかった。
しかたない。山中で陽が暮れた。寒かったし、
本当に来てくれるのか不安でしかたなかった。
40分ほどでライトが見えた。助かったと思った。

そこから山を下り、宿まで送ってもらった。到着した
のは午後7時だった。もうくたくただった。
運転手さんはとても良い人で、翌日迎えに
来ましょうか?と言ってくれた。札所がひとつ抜けて
しまうことになるので、翌日、どこへ行ったら
いいのかわからず、予定が狂ってしまったので、
今晩考えてお呼びするなら7時前に連絡します、と
だけ伝えた。宿のおばちゃんはやっぱり心配して
いた。すみません、山で迷いました、と言って、
なんとか不安な今の精神状態を隠したかった。

山道を10時間歩いて、お寺に辿り着けなかった
自分が悔しいやら、情けないやら。翌日また
あの道を登れるほど精神的にも肉体的にもタフでは
なかったし、出来るならもう東京に帰って
しまいたかった。

片付かないと迷惑がかかるので、とにかくごはんを
食べた。食欲は無かった。山を降りてる最中に
少しだけ口に入れた非常食のせいもあるけど、
豪華な食事が食べられなかった。お酒を飲んでいる
おぢちゃんが、話を聞いてくれて、やっぱり
その時間では遅いと言われた。おぢちゃんは
3回目らしい。朝3時とか4時起きらしい。
おにぎりだけ作っといてもらって、それを朝ごはんに
しながら登るのだそうだ。自分の考えが甘かったと
反省した。

お風呂に入って、相部屋だったので、迷惑に
ならないようにさっさと寝た。翌日のことは
考えられなかった。タクシーを呼んで、焼山寺まで
行ってもらおうか、どうしようか。