Time Machine Delay | Alminum Boot Overdrive

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日々の雑談、おおいに休憩あり。

こんばんは。

そういえば今日の前回のエントリが録音って謂う事だった。

録音=レコーディングっていうと、ずいぶん昔ブライアンイーノは
こういうことを謂っていた。

それはあらゆるミュージシャンは録音に吸い寄せられてしまっている
、って謂う。

此の事自体は事実なんだろうけど、自分の中で分からないのが
なぜイーノがそれを問題視したかということだったり。

説明としては録音より興味深い事はたくさん在るって謂う事だった。

対極的に謂うとフランクザッパなんかは、一時期ギターを
触らない理由として、もうベストな演奏はテープに収めてあるとか。

一般的には、どちらもそれなりに興味深い意見だし、
それにも増してどういうわけか可成り東洋的では無い発想かな、とか。
(当たり前だけど)

録音が重要なのは、というかそういう考え方自体はどうしても
まあ、そうなるかなあっていうことは色んな面であるとは
思う。

例えば録音物は距離と時間を超える。これってもっとも一般的な
そういうことの利点への解法なのかな。

一方でデジタルの利便性は、なんだろう編集とか録音の質でまったく
アナログを凌駕している。

一時期のイーノはデジタルとアナログの端境期ではアナログの利点に
たいそう執着していた。

ホルガーシューカイっていうアーティストもそういう端境期で
すごーくもてはやされていたし、其の理由というのが
デジタルが在る上で尚かつアナログ機材をつかいオルタナティヴな
作品を提供していたからっていうのが有ったとおもう。

ひょっとしたらシューカイみたいなのもプチゴシックだったのか
なあ、とかも思うし今やそういうのって影も形も無い。

実は自分もモーターの音を録音するとかサンプリングするっていうような
デモテープを造って居た時期もあった。

録音の意味って色々在るけど、特性としてはいかに残っていても
演奏自体が古すぎるのは実際、そんなに聴けない。

それは古すぎるっていうのは誰にも辛いからなんだろうけど、
そういうことを考えると、記録の実在が記憶とか感情にただちに
連結される訳ではないっていうような。