映画評論家の水野晴男さんが死んだ。ぼくはもうテレビも映画もみなくなって可成り立つけど、もっと先に亡くなられた淀川長治さんと水野さんは映画評論では双璧だった気がする。
で、偉大な映画評論を遺した二人の死に際してというか、自分が死に関連したことを思うことは、多分すごーく小さいとき死んだら、すでに死んでいるような人に、誰にでも会えるっていうか、なんか変だけど例えばヨーロッパのほうの偉人とか、そういう人に会える、なんていうことを良く夢想していた。
こういう風に過去形で語ると、いまはそういうことが本当じゃないと思うかといわれると、それは違う。でも、あんまり死んだら誰に合えるし、なんていうことを考えなくなった。
また最初のみじかな親類が死んだとき、ちょうど自分の部屋の真上の空にその人がいて見ているような気がしたことも在った。多分冷静に考えると今でもそういう気がするかもしれないけど。
とにかく水野さんとか淀川さんは、星になってうえから見ているのかな。死んだ人を美化する気持ちは無いけどそういう風に感じるっていうことは、案外本当だろうって言う気がする。