今日・明日は、暑いらしい。

水曜日以降のお天気は、読めない。

 

猛暑日には来て欲しくないが、来るだろう。

そして、暑い。

 

 

夜中の気温が下がらなければ、また居間に移住である。

暑気当たりには留意する。

熱中症だと、簡単に死んでしまう。

 

まだ、死にたくはないのだ。

 

 

 

 

 

 

我が家の百日紅が、綺麗である。

 

母が認知症を発症し、進行を遅らせるべく、「けやき公苑」へ散歩に出かけていた。

週に3回は、通った公苑である。

運動をすることで、脳の萎縮を抑えたいと思っていたのである。

かなり、功を奏してくれた。

 

 

 

その「けやき公苑」にも、綺麗に百日紅が咲いていた。

いっぱい種がこぼれるが、周囲には百日紅の芽しょうは、出ない。

ダメ元で、その種を持ち帰り、鉢の中で発芽を待った。

 

 

そして出た1本。

葉っぱの感じで、百日紅らしい。

育てた芽しょうは、百日紅になった。

母が亡くなって、9年になる。

 

その間、ずっと咲いてくれた百日紅なのである。

公苑行脚の贈り物であった。

 

 

 

 

その百日紅。

公苑のと同じ、淡いピンク色である。

 

 

 

お日さまを遮る椎と桜の枝を整えた。

お日さまが当たるようになって、毎年、咲いてくれる。

母の贈り物である。

 

 

 

 

晩秋に、本体の幹を残して、先端は丸坊主にする。

そこから、春になると枝が伸び、その先に花を咲かせてくれる。

秋の手入れが悪いと、いっぱいは咲いてくれない。

 

 

 

 

 

 

こんな植物が多い我が家。

 

 

桃もスモモも、種から大きくなった。

玄関の栗も、そうなのである。

あとは、種から育ちつつある、キンカン。

センリョウも、種から増やしつつある。

 

 

 

突然消えたクチナシも、その末裔が育っている。

いつの日か、花を咲かせてくれるかも知れない。

 

 

その日まで、わたしの命は、許されているであろうか?

 

 

 

 

 

晩夏の百日紅。

綺麗である。