前回同様、思い出し書きですとびだすうさぎ1
今思うと…あたしが、一番精神的にキテいたのは、この頃でしたショックなうさぎ

去年の今頃は、あたしも夫も働いていて、夫は、夜勤も残業もこなしていました。

大学病院からがんセンターへ紹介状が出たものの、予約は3週間先だったので、そんなに悪い状況ではないものだと思いつつ…

幸い、その時点での夫の自覚症状は、相変わらずのお尻の違和感と頻尿程度でした。

2016/2/29  県立がんセンター初診
がんセンターは、我が家から高速道路を使って、約一時間。あたしの運転に乗ってる方が不安になるということで、いつも夫が運転でした。(失礼ですけどね…(--;)…)
この日は、さすがにあたしも仕事を休み、夫とともに病院へ。
あたしの両親も、『通うことになるかもしれないから、1度病院も見ておきたいし、一緒に行くよ!!!』とついて来てくれました。

初めてのがんセンター…たくさんの患者さん。
その時は、呑気に『こんなにたくさんの人ががんを患っているんだぁ。』と思ったものです。
受付を済ませ、泌尿器科へ。
あたし達が着いた時は、ほぼ満席に近く、泌尿器科とあって、年齢高めのおじ様が多い様子。皆さん多分、他の病院からの紹介がほとんどなのでしょうね。はたから見たら、あたし達夫婦は、父親について来た感じだったと思います。
だから、看護師さんが夫に話を聞きに来たときには、周りの人達は、『あらっ、若い方なのね⁉』と思ったに違いありません。

待合室で、前立腺がんについて、ググったり、最悪のシュミレーションをしたりしていた我ら親子をよそに…
夫は、スマホでゴルフのゲームをしていましたポーン
一時間近く待って、いよいよ診察室へ。
先生の正面に夫。隣にあたしの父。
夫の後ろにあたし。あたしの横に母。という風に座りました。

緊張した空気の中、主治医の第一声は、
『すぐ来るように言われませんでしたか?』
と、険しい表情で一言。
あたしは、一瞬にして背筋が強ばり、メモをとろうと、ぺンを持っていた手が冷たくなるのが分かりました。
夫は、『特には…』とポツリ。
持ち込んだCTの画像を見ながら、主治医はだんまり。
『これは…とにかく、急がないと大変なことになります。』
『普通の前立腺がんではありません。』

この時点で、あたし達がしていた最悪のシュミレーションも越えていましたチーン
(いや、していたようで、やっぱり、最悪のシュミレーションなんて、できるはずもなかったのです(T-T)
主治医は、とにかくずっと険しい表情で、『なんで、こんな状態で3週間も放置していたのか、信じられない。』
『小細胞がんの疑いがあり、普通は肺でよく起こるのですが、稀に内臓にできる場合があり、あっという間に全身に転移して手遅れになります。』
『人間の体は、ご存知のとおり、細胞で出来てますから…特に、若い方は細胞分裂も速い。小細胞がんは、細かい網目のように、全身どこにでも広がり、脳や骨に転移しやすいのです。』
『本来、栗位の大きさの前立腺が、すでにソフトボール位の大きさになっていて、膀胱は、萎んだ風船のようになっているため、頻尿という症状が出ているのでしょう。』ここで、父が立ち上がり、画像を覗きこむ。
『今のままでは、骨盤内臓器を全摘しても、取り切れる保証はありません。しかも、足の付け根に浸潤してる可能性もあり足の切断も考えられます。』
『そこまでしても…手術をすることで、更にがん細胞の種を蒔く形にもなりかねないんです。』
『しかも、現在当センターでの手術は不可能です。残念ながら、スタッフが揃っていないんです。県立という看板を掲げているにも関わらず…申し訳ないです。』
・・・《一同沈黙》

いよいよ、あたしは手が震えてきてしまい、メモが取れず…チーン
その時、隣に座っていた母があたしの背中を『バシンっ』と叩いて、
「しっかりしなさい!」
と小声で言いました。
あたしは、気を取り直して、深呼吸をし、先生の話の続きを聞くことができました。
本当に、母が一緒に居てくれて良かったと思いました 大泣きうさぎ

『今、大学病院に電話をかけて聞いてみるので、ちょっと待っててください!』と目の前で主治医が電話をかけ始めました。
あたし達は、ただただ、呆然…。
主治医は、紹介状を出した大学病院の泌尿器科長の先生に『すぐに、受診させなかったのは、どういうことなんですか?』と、食って掛かっていました。
大学病院の泌尿器科長の話では、『自分のところまで、話があがって来ていなかった。自分が知っていれば、すぐに県立に回していた。申し訳ない。』ということでした。
とは言っても、すでに3週間が経っていたわけで…ゲッソリ
今できることは、できるだけ早く検査をし、転移の状況を調べること。手術可能な病院を探すことでした。

とりあえず、その日できる検査は全て受けて帰ることに。
残りの検査は、次の日から随時行うことになりました。
通常は、検査でさえ、2,3週間待ちが当たり前の病院。夫は、無理矢理割り込む形に。
この日も、CT検査が17時半からでした。

両親は、夕方からの仕事もあり、タクシーを呼び、それから、新幹線で帰ってもらうことに。二人がどんな気持ちで帰って行ったのかと思うと…タクシーを見送りながら、胸が苦しくなって仕方ありませんでした。
母の話では、父は、『(婿には)もう好きなことをさせてやるしかないな…。』とだいぶ気落ちしていたとのこと。それを聞いた母は、『何、バカなこと言ってるの!!!子供だって小さいんだし、諦める訳にいかないでしょ‼あたし達ができることは、何でもするよ、お父さん‼と父を叱ったそうですムキー(笑)
やっぱり、『母は強しビックリマーク』ですね。
それからも、母は事あるごとに、『絶対、大丈夫だから、あんたがしっかりしなさいよ!』とあたしを励ましてくれました。

その日の検査を全て終えて、高速で帰る途中、PAに寄りました。そこで、夫は、会社に連絡し、上司に報告しました。
淡々と電話で話していた夫でしたが…あたしに聞こえるほど、上司の方の声が大きくなり、
『会社の方は心配するな!とにかく、自分の体のことだけ考えて、絶対治して戻ってこい!お前の居場所は、いつ帰って来てもいいように用意して待ってるから!』という上司の方の優しい言葉に、夫は泣き出しました。
子供のように泣きじゃくる夫を初めてみました。『ありがとうございます!ありがとうございます!』と言い続け、上司との電話を切りました。
それから、しばらく車の中で二人で泣いて、『頑張るしかないね!!!』と言って、再び高速にのりました。
家に帰るまでに、普通に戻っていないと息子達が、心配すると思ったので、お互いの目の赤さを確認したりしながら、家の中に入りました。

今回の病気が判明してから、夫の涙を見たのは、その日だけでした。
痛さや不安よりも何よりも、人の優しさにふれた時に、夫は泣くのだなぁと思いました。自分の中で、もう元の仕事は出来なくなるかもしれないという想いを上司の方に分かっていただいていたのが、嬉しかったのでしょうね。

4年に1度の2月29日。
とても、長く感じた1日でした。

次回は、連日検査編。

長文、読んでいただきありがとうございました゜゜(´O`)°゜