おっさんキャリーを引いて  | ちいさなエアリアルヨガサロンgoya inMITO

ちいさなエアリアルヨガサロンgoya inMITO

エアリアルヨガのパーソナルレッスンを行う完全プライベートサロン ここに在り。ちいさなちいさな極小サロンからの日々をお届け。

数々の
名曲と共にあった
わたしの 花のみやこ大東京




死にたいくらいに憧れて



父親にかりた
出張用のおっさんキャリーで
あばよ!と京へ出かけて行った
わたしの東京ストーリー






2002年
絶賛のバイキンくん金融バブル期





椎名🍎さんち の歌舞伎町の女王

にはなれずに




歌舞伎町交番の
脇の
街角にたたずみ
沖縄の系列キャバクラから流れる
音符三木道三の キミにミキ音符



の歌詞に


 この街を去ったあとの憂いの心境だな〜と
胸で深く頷き

カラコン越しにうつる 
新宿コマ劇場前を
憂いを帯びた目で見つめていた




〜憂いを帯びた目〜



(こんな顔ならいいけどなぁ酔っ払いニヒヒ)笑笑
 








区役所通りのキャバクラから大音量で流れる



きみのこと思い出す日なんてないのは
きみのこと忘れたときがないから


なんて
浜崎あゆみの HANABI花火
涙腺を緩ませ





行きつけの
📮♣️では
大の仲良しの📮に

満たされない自分の悲しい心ショボーン




くしゃくしゃにもやもや
丸めてぶつけて!ぶつけて!
ぶちつけて爆弾



ジッタリンジンのプレゼント








毎日毎日 あんな糞📮彼に
サヨラナしようと思いながら
吐き捨てるように歌い






GOGO 7188!のこいのうた を

生きていゆく力が欲しい!!




大号泣えーん
鼻水が床にぼたぼたこぼれるほどになるのに
ふかずに(汚なぃ。。)
時には店内マーライオンゲローに変身して
毎夜毎夜大熱唱🎤



(まぁまぁホストで 色恋ホストに病んで酔い潰れてる女ってこんなんおおいんですわ)








📮彼のいる店では

エミネムのStan の流れれば
女の歌声の一節に胸が苦しくなりつつも

目の前についてくれるヘルプ📮の
頑張ってるけども 生産性のないつまらない話に

仕事でもないのに 
いい女を装い背筋を正して
しっとりと仕事のように
笑顔を振りまいた

(あっちもこの女馬鹿だよな〜と何度も思ったはず 現にゆうさん良い人なんで もうここへは
来ないでほしいです。多くは言えないけど。、でも。、😢と泣いた子までいたのだから)



しかし

マイク毎度お馴染み♪
ちり紙交換です♫ 
のアナウンスのように


各テーブルで。
毎度お馴染みのセリフの
シャンパンシャンパンコールがリピートされる
順番が回ってくるのと
シャンパンシャンパンが運ばれるのを
それは静かに微笑み大人しく大人しく待っていた。











そんな
わたし
当時
毎日 カラコンをつけていた





理由…。。。




裸んぼの目で
この街を見たくないからえー 
(爆〜ウケる笑い泣きおいで






と。。。結構痛めにスカシて




歌舞伎のドンキ前で
神奈川出身のまぁまぁな
イケメン男子にそんな

意味不なセリフを ツンツン吐いていた。




文字通り


ゆう。。。。
うわ こわ!びっくり
痛すぎるほど痛いって。。。。
と  言われながら









そして夜なのに必ず
CHANELのサングラスを🕶していた







どーん。






(こんなやつ。。流行っていたグッ笑い泣き






pinkのCHANELバックを持ち



ブランド品であれば
それでいいという
お馬鹿な成金スタイルで



BVLGARIをつけているか
Cartierをつけているか
どっちのほうが高級なのか
といった 
歌舞伎町の中だけのステイタスで
生きていた








でも心からど貧乏だった。


心はど貧乏だった。。。。







好きな人と一緒に居たい
といった気持ちばかり奥底にあった


(結婚したら ずっとずっと
一緒に暮らせるんだ
そしたら こんな寂しさはもうないんだ
って そればかりだった)


宇宙人くんつくづく痛いおばけくん


(だから おいでそんなだから
📮の色恋にまんまとハマるんですわ😅

あっちからしたら
おっ!今夜も!鴨がネギ背負ってきたぞ!!って
なるんですがねf^_^;)







あんなキラキラなネオン街で
眠らない街で
毎日誰かと居ても
ハートの目盛りが増えることを
感じることはできなかった






一流にはなれずに
ウダウダと
一人の📮の為に稼ぎ 全てをそこに使う。







そして
痛めつけて
酔っ払った身体が
朝日に溶けそうになるのに
いささかの心地よさまで覚え



2歳児くらいの大きさの
どでかいカラス達の脇を
波平さんの千鳥足で
裏通りのマンションへ帰る。。





そんな生活の中の。。。
唯一の憩いの場すらも。。。。







📮♣️

発砲じけんハッのあった日もその翌日も
歌舞伎町の親友に
グダを巻き そのビル内で大号泣していた





(また📮かよ!!!!ガーン





📮で泣いても
📮で貧乏になっても
📮で怖い目にあっても



憩いの場も
憩いの友達も📮だった









この親友📮は







大学で東京へ出てきた
ピカピカの上京組だった
📮♣️バイト初日にこの街の
コンビニ前であったのがわたしだった









そこからずーっと兄弟のように
仲良くしたり喧嘩したりした





📮になった日に知り合ったが

闇💴へいけとか
カードで買えとか払えとか
お風呂へ行っておいでとか
馬鹿げた 腐った発言はしなかった









田舎に帰り落ちぶれていたわたしにも
度々連絡をくれた。








当時は
沢山の夢を語った

どうしたら
この街で成功するかな

どうしたら
幸せになれるかな

どうしたら
かっこいい大人になれるか

そして壮大な夢の話の
最後はいつも



俺たちは死ぬその瞬間
どこに誰と何してるかな?だった







その親友📮が
お店をあの街で
構えるとなった時には
田舎からおめでとう拍手をしに行った




俺 ここまでなった
ゆうちゃんなんで
そんな田舎にいるんや!!
早く帰ってこいや!

中部生まれのエセ関西人が
そんなセリフでわたしを出迎えた






うんそうだよね。







それでもわたしは
あそこへ帰る踏ん切りが
つかなかった。。





その後28歳位で
中部に戻りお店を出したとなったところから
どちらからともなく
音信は途絶えたが









夢の話の一番最後に語っていた






最後死ぬときはさぁ
ってのは




その
死ぬ時が来ないとわたしもわからないけど





私たちは産まれたら
最後死ぬって事は決まっている







何にもわからないけど死ぬことだけは
確かだからと




いつもそう言っていたあの子






その子の活躍の
風の便りも聞こえないところへ







わたしはいるけれど





三密禁止のこの時代を
あの子はどう生きているだろうか。
まだどこかで飲食業をしているのだろうか










バイバイして正解 たいして愛して
くれない人に対し 期待しても 胸痛いしね
自分の気持ち 理解してくれる相手
見つけることこそが 大事で
まぁ 何しか明るく笑って 手を振り
寂しさよサヨナラって
その顔見てたら せつないで
何も言わずに この手つないで





とキミにミキの



ラップの部分を
いつも隣で歌っていてくれた
兄弟のような📮






あなたのおかげでわたしは
今 こうして 自分の事を見つめている





死ぬことだけは誰にでも必ず訪れること。

どの内容のどの濃さで
何を見て
どんな自分を描きたいか










今わたしは 過去を大いに振り返っている。



21歳のわたしを連れて。



おっさんキャリーを引いて
花のみやこ大東京東京タワー
降り立った日のわたしが

39歳のわたしへ








わたしはわたしであり続けたいそう願っている







と とんぼ 伝いに教えてくれた。  

打ちのめされても

闇を振り返る勇気をくれている






また DEEPに生きる勇気をくれている




(あーなんだっけ〜えーんもひとつあった
昭和の名曲の 📮狂い痛客女が
大号泣のあの歌。。。。それはまた別のお話で 口笛






END