・大隠は市に隠る

真に道に達した隠者は俗事に心を乱さないから山林に

隠れる必要もなく、町の中に住んでいる。

 

本当に人間ができていれば環境は関係ない。

どこにいようとも正しく生きるだろう。

わざわざ修行のために一人山の中で仙人のように生きなくても俗世に染まらないはず。

まぁ今の時代で聖人のような生き方をしてる人はいないと思う。

そんなことしなくとも普通に仕事して生きるだけでいい修行になる。

正しい生き方って何だろう。

仏教の5戒だと殺すな・酒を飲むな・嘘をつくな・盗むな・不正な交わるをするなとある。

でも殺すなといっても食事は生き物を殺して食事として生を保ってる。

植物なら殺生にならないと思う人もいるけれども植物だって生き物だと思えば殺せないはず。

ただ仏陀は肉食をすることが誤りではない。

行為によって卑しくも正しくもなると言ってる。

無理に殺生を限界まで推し進めると食事は全くできなくなってしまう。

戒律を守ることも大事だけれどもそれよりも行動が大事だという。

行為によって清くも卑しくもなると言ってる。

言葉でいくらいいこと言っても行為が伴わなければただの歩く辞書だ。

知識と行為が一致して初めて完全になる。

これがなかなか難しい。

言うことは知識があればいくらでもいいこと言えますしね。

知行合一とはよく言ったものだ。

それにしても知識がなくとも正しく生きられる人は多い。

むしろ余計な知識が邪魔して正しく行動できない人の方が多いかもしれない。

全き人は理性で考えずに素直な心で行動する。

そこに知識から行動するのではなく心の赴くままに行動する。

だからむしろ知識は邪魔な場合もありますね。

無理に多くの知識を得なくとも正しく生きられると思う。

心って制御するのが難しい。

ちょっとしたことで動くから制御が大変です。

心の修業は難しい。

 

でわでわ。