子の曰く、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。

(先生が言われた「昔の学んだ人は自分の修養の為にした。

このごろの学ぶ人は人に知られたいためにする」)

 

耳が痛い言葉だ。

確かに僕は広く浅く本を読んで本棚に一杯並んだ岩波文庫を眺めて悦に入っててはダメだ。

ほとんど内容は覚えていないですからね。

読んで印象に残ってるのは10%もないですね。

あとは言い回しが難解すぎて逆に疲れただけでした。

だからこれからは自分が読みたい本だけ読もうかなと。

昔の人は自分のために学問をしたのは本当に必要だったからだろう。

今は情報があふれているけれども昔も今も自分を自慢したいのは変わらない人間の真理らしい。

学問を自慢したってなんの役にも立たない。

得た知識を使って仕事に生かさないと。

生きた言葉っていうのは聖書のようにいつまでも残るみたいです。

だから古典で長く読まれてるのはそれなりの意味があるものがほとんどですね。

学問は本当に自分のためにやるべき。

見栄を張って資格とか取っても意味ないことがほとんど。

まぁ自己満足は得られるかもしれませんがそれ以上でも以下でもない。

知行合一で知識は実際に生活に生かさないとダメだ。

だから家庭教師とか塾講師なんて仕事はかっこいいなと最近思うようになってる。

こうすれば生徒は学力が上がるというやりがいがある仕事だと思う。

学校の授業は意味ないというわけではないけれども受験を見据える上では非効率な場合もあると思う。

宝くじ当たったら再受験するんだが。

 

でわでわ。