別離。
自分の兄が17年も前に他界した。
あれは、暑い暑い夏のこと。
原因は交通事故。
単車乗りで、kawasakiの名車に乗っていた兄は、
実家近くの交差点で、
対向の右折しようとする車に引っかけられ、
ほぼ即死。
器械体操競技で県大会に食い込んだ兄でさえ、
その衝撃は即座に意識を失わせるのに十分なもので、
片側3mに満たない細い道路は一時、
血に染まったということだ。
当時高校1年生だった自分は、
兄の死を適切に受け止めることができなかった。
端的に言えば、
まともに取り合えるほどのことではなかった。
遺族として何回かの法要を経て、
今でこそ十分に立ち直ったと思われる。
だがしかし、時によりふと抑鬱感に苛まれる自分は、
その死を消化しきれてはいないのではないかと、
ときに思う。
我が母校の教官である松井豊先生は、
親族等の喪失は、それが突然起これば起こるほど、
その悲嘆からのリカバリーが遅くなると仰っていた。
蓋し同感だ。
仮に癌で余命いくばくもないという人が家族にいた場合、
その介護の過程で、少しずつ自分の中で相手の死を受容していき、
死を迎えた際にはもう十分に弔えるまでの、
「心の準備」ができている。
一方の私の場合、
当時壮健な10代の若者であった兄が、
突然にして亡くなるという事実は、
おそらく受け入れがたかったに違いない。
その後、何かにつけて理由をつけては学校をさぼり、
高校3年生の時には通年で40日以上は学校に行かないなど、
心を正常にすることに躍起だったのかもしれない。
喪失体験をした人には、自分なりにそんな過程を披歴しながら、
精いっぱいの共感をもってコミュニケーションをしていこう、
などと、
しんみりと思ったので書いてみました。
自分の兄が17年も前に他界した。
あれは、暑い暑い夏のこと。
原因は交通事故。
単車乗りで、kawasakiの名車に乗っていた兄は、
実家近くの交差点で、
対向の右折しようとする車に引っかけられ、
ほぼ即死。
器械体操競技で県大会に食い込んだ兄でさえ、
その衝撃は即座に意識を失わせるのに十分なもので、
片側3mに満たない細い道路は一時、
血に染まったということだ。
当時高校1年生だった自分は、
兄の死を適切に受け止めることができなかった。
端的に言えば、
まともに取り合えるほどのことではなかった。
遺族として何回かの法要を経て、
今でこそ十分に立ち直ったと思われる。
だがしかし、時によりふと抑鬱感に苛まれる自分は、
その死を消化しきれてはいないのではないかと、
ときに思う。
我が母校の教官である松井豊先生は、
親族等の喪失は、それが突然起これば起こるほど、
その悲嘆からのリカバリーが遅くなると仰っていた。
蓋し同感だ。
仮に癌で余命いくばくもないという人が家族にいた場合、
その介護の過程で、少しずつ自分の中で相手の死を受容していき、
死を迎えた際にはもう十分に弔えるまでの、
「心の準備」ができている。
一方の私の場合、
当時壮健な10代の若者であった兄が、
突然にして亡くなるという事実は、
おそらく受け入れがたかったに違いない。
その後、何かにつけて理由をつけては学校をさぼり、
高校3年生の時には通年で40日以上は学校に行かないなど、
心を正常にすることに躍起だったのかもしれない。
喪失体験をした人には、自分なりにそんな過程を披歴しながら、
精いっぱいの共感をもってコミュニケーションをしていこう、
などと、
しんみりと思ったので書いてみました。