毎週、寝たきりになった祖母の面会に行き始めて1ヶ月が経ちました。
寝たきりと言っても話せる日もあるので、話せる時は時間いっぱい話します。(認知症なので話はループしますが)

考えるのは、元気な時にもっと会いに行けばよかったという後悔。
そして、自分はどんな風に死を迎えるんだろうということです。

祖母はひとり暮らしで死にかかっているところを子どもに発見され、その後は病院や施設を転々としています。
祖母は「死ぬなんておっかない」と言うし、子どもは死なないでほしいからできる限りの対応を模索します。

現代医療は、昔に比べてずっと、「死なない」でいられるんだと思います。
だからこそ、線引きをするのは患者側に任される。
点滴をすれば少しは生きられるのに、「自分で食べられないなら点滴を止めてください」とは言えない。
「もうここらへんで」が1番難しいんだなと思います。

時々、思います。
祖母は自宅で倒れてそのまま死ぬのがよかったんじゃないかと。
もちろん医療を受ければ生きられる余地はある。
でも自分で食べることも忘れて、でもその時点では自宅で好きに暮らしていて、そこで終わり、でもよかったんじゃないかなと。
そういう死は孤独死と言われるけれど、孤独死もいいのかもしれない、むしろ私は孤独死のがいいかもしれない、と最近思います。

病院でも施設でも「帰りたい」と繰り返し、「こんなんなってどうしよう」と嘆く祖母を見ていると、何がいいんだろうね、私もわからないよ、と言うしかなく、色んなことを考えます。
滅入るけれど、死が遠い現代で、ありがたいなとも思います。