粟田神社の歴史は古く、創建は平安初期(876年)。八坂神社の東北にあります。千年を超えて受け継がれてきた粟田祭り。室町時代、祇園祭が中断した時にはこの粟田祭りをもって祇園御霊会に代えたということです。

江戸時代の夜渡り神事に関し、青蓮院の文書にはこうあります。「灯籠をともしてみこしに先行すること数百。さまざまの造物あり衆人の目を驚かす、誠に一大壮観なり」。その大燈呂が180年ぶりに京都造形芸術大学の協力で復活したのが平成20年。今年も10基の大燈呂が祭りを彩りました。


上の写真は「青龍」。平安京の四神の一つで粟田神社の位置する東方を司ります。




「烏天狗」。

鞍馬寺の山奥で、幼い牛若丸に剣術の稽古をつけたとされています。

義経は頼朝から逃れ平泉に向かう途中、粟田神社摂社の出世恵比須社に参拝しました。




「出世えびす」

粟田神社には、日本最古の木像のえびす像をご神体とする、出世えびすが祀られています。



「光秀と狛犬」

粟田神社の近くには明智光秀の首塚があり、その怨霊をはじめ様々な災害を狛犬が押さえてくれとの願いを込めています。



「合槌稲荷」

一条天皇から守り刀を打てとの勅命を賜った小鍛冶宗近が、手伝いに来た狐を祀って建てたという合槌稲荷神社。かつて粟田地区には鉄を扱う鍛冶職人さんが多く生活しておられたそうです。空を翔る躍動感がよくでていて、可愛い稲荷さんですね。







「八岐大蛇 (ヤマタノオロチ)」

スサノオノミコトが退治したとされる八岐大蛇 。

粟田神社はスサノオノミコト、オオナムチノミコトをお祀りしています。





「牛頭(ごず)天皇」

牛頭人身の行疫神(疫病神)。その鎮祭が祇園祭の起源。牛頭天皇とはスサノオノミコトの別名。筋骨隆々、たくましい。


いずれも、今時の現役学生が造った作品らしく、どこかモダンで可愛いところがありました。大学と地域の連携というのも素晴らしい。昨夜12日に行われた粟田大燈呂 夜渡り神事。台風を一日ずれてほんとよかったですね。