何年も前の話ですが、
最近また思い出してモヤモヤしているので
書かせてもらいます。
個人的に参加した
ゲーム依存のお子さんに関する研修で、
お子さんの発達や特性の話になったとき、
パネリストの医師たちが
医師A:
自分も熱中するとやめられないときがある。
また、集中して時間を忘れるときがある。
そういった点からすれば、
自分も◯◯ですよねー。
※◯◯は、特性を示す言葉です。字数は二文字ではありません。
医師B:
あーわかりますー
僕もそうですよー
ねー
という…一見何でもなさそうなやりとりに…
めちゃくちゃモヤモヤしました
自分もそうだったかもだけど、
医師やれてますから大丈夫ですよー
的な、
何の解決にも希望にもならない発言は要らなくないですか…??
診断受ける機会や必要性がなく生活してきた方には、いくら臨床でたくさん関わってこられたとしても、当事者の苦しみは客観的にしか理解できないのではないかと思います。
また、このような発言は、必要な検査を拒むきっかけを作ったり、周囲の誤解をうみかねないとも思います。
特に今、深刻なのは
ゲーム依存で
親に暴力をふるったり
親の金で高額な課金をしたり
学校へ行かなくなったり
昼夜逆転生活になったり
食事をしなくなったりと
普段の生活を送ることに
大変な困難を抱えている社会的背景。
結局この研修では
ルールをしっかり守らせて
いきなり取り上げるのではなく、
適度にゲームをやらせるのを良しとしましょう!
という結論に至っていました。
ゲーム依存の研修は
当時いくつか出席したのですが、
このときの研修だけは
モヤモヤモヤモヤ…
となりました