以前このブログで紹介した軽い後輩が面白いこと言った。

 

後輩「以前勤めてた会社の上司が言ったことっすけど、『年収が社会人の通知簿だ』と言ってました。」

 

 う〜ん、ツッコミどころは多々あるが、たしかに分かりやすい指標だと思う。お金が多いほうが幸せ、俗に言う『拝金主義』というのも価値観としては全然悪くない。身内にもお金を貯めることが趣味という人もいるし、当然その人は貯金通帳の額面が増えることが人生の喜びのはずだ。

 

 拝金主義の人はそれでいいかもしれないが、価値多様性の昨今、それでは満足できない人が多い。学生の頃通知簿が(オレを含めて)悪かった人もそれでイコール不幸ということはなかったはずである。遊ぶこと優先で通知表を気にすることなかったもんね。

 

 幸せは自分の定義による。何が幸せか、どういう状態が幸せと感じるかは自分で定義しなければならない。そして幸せは長くは続かない。ちょうど笑うという感情と同じでずっと続けていられないことと一緒である。ここが一番人間のメンドクサいところだと思う。

 

 お金がここまであれば幸せという指標はわかりやすくて良いが、万人がその定規を使う訳にはいかない。生まれも環境も全部違うからである。

 

 『お腹すいた時ご飯が食べれて幸せ。』、『昨日まであいさつをしてくれなかった隣の人が今日は挨拶してくれてうれしい』など、こういうちょっとした幸せと感じられる瞬間を多く持てたらそれは幸せな人生なんだなと思う。ある基準を超えたらそれは幸せな状態というのはなかなか納得しづらいものがある。分かりやすいけどね。

 

 幸せは自分の定義による。そしてそれは時によって移ろいゆくもの。子供の頃プラモを組み立てるのが幸せだったけど、今は犬を飼うのが好きとかね。

 

 この世に価値のあるものは無数にある。生きているうちに思いっきり触れていきましょう。楽しいよ。