今日 名古屋地方検察庁から ゆうパックが届いた
i Pad と i Phone だ
やっと i Pad でゲームができる
2年ぶりに 戻ってきた
しかし スマホは みないことにする
ラインや不在着信だらけだろう
充電しないことにする
久しぶりに i Padで PUBG をプレイした
サバイバルゲームだ
スマホだと 敵が小さすぎて 楽しめない
大きい画面でないと
タブレットとスマホが 返却されたということは やはり不起訴なのだろうか
1か月ほど前に 刑事が来て 不起訴になったと伝えられた
まだ 信じられない
入院中は 放火のが重罪だということだけは 認識していた
病院では スマホもパソコンもないので 情報弱者だ
懲役7年くらい 実刑をくらうかなと 覚悟していた
火をつける直前 罪の重さは知っていたが 死んでいるんだから 関係ない と思っていた
罪名は 現住建造物放火だ
しかし 目覚めたら 病院のベッドの上だ
しかも 両足が切断されて 膝から下が ない
3か月くらい 放心状態で 悪夢に毎日うなされていた
睡眠薬も 合わなかったのだろう
いつも 飲んでいたハルシオンでは 足の痛みが強すぎて 眠れなかった
強い眠剤だったのだろう
毎日が エルム街の悪夢だ
しかも つらい時間が長い
普通なら 目が覚めるところで 全然覚めない
悪夢の 時間がずっと続く
目が覚めると 意識混濁状態だ
夢の中の出来事なのか 現実に起こったことなのか 区別がつかない
看護師に 殺される夢をみた
これが 夢かどうか分からなかった
今 考えると 夢だろうと分かる
手が ベルトで拘束されているので 内出血だらけだ
夢も ベルトで手が拘束されている状態から 始まる
その拘束具は 夢の中でも 外せない
これが 毎日続く
いまは この拘束具の夢は みなくなった
よく見るのは 会社の夢だ
事件前は レンタカー会社を経営していた
夢では 車が1台もない状態から スタートする
そして 銀行に 2000万円の融資を 申し込む
やけに 具体的だ
いつも 同じだ 金額も 車がないということも
夢の中では 事業を再チャレンジするわけだが 現実では無理だ
まず 運転ができない
そして 運転免許も失効している
金も信用もない
いま できるのは 教祖と名乗り みんなの悩みや懺悔を きくくらいしかできない
3年くらいたてば 信者も増えているだろうか
会社は 3年目に 太客が2人現れて 一気にブレイクした
社長として ブレイクしたが 今度は 教祖として ブレイクするだろうか
信者 訪問者の人達には 自殺願望がまだある ということは 伝えてある
差し入れも多い
毒が 入っているだろうか
3年の間に 毒殺か絞殺されるのではないか
自殺は いま住んでいる施設では 難しい
道具がない
はさみを差し入れで 頂いたが すぐに施設長から 釘をさされた
かなり 警戒している
部屋には 火災報知器はない
火は ダメだ
煙たいし 熱い
尋常じゃない 熱さだ
ズボンに 火がついてすぐ あまりの熱さに 意識がなくなった
煙もかなり 吸い込んでいた
意識不明の重体だ
普通 助からないだろう
なぜ 助かってしまったのか このことばかり 頭の中で ループしている
救急車が あと5分遅ければ 全身黒コゲで 死んでいただろう
なぜ 渋滞にひっかからなかったのだろう
ドアは スペアキーであけたのではなく エンジンカッターで 切り裂いたらしい
ドアノブ付近を 三角に切ってあったといっていた
自殺する前 ネットでいろいろ調べていたが 助かると 地獄の日々が続く
こういう投稿が 多かった
確かに 地獄だ
しかも 会社の後始末もある
友達や親戚に 二度と会えないのは 別にいい
ただ 心残りなのは 年老いた母親だ
老人ホームにいる
事件前までは 毎月13万円 僕が支払っていた
いまは 母親の貯金通帳から 落ちている
底をつくのも 時間の問題だ
問題が発生すれば 弁護士に連絡がくるようになっている
連絡がきても 自分には 支払い能力が いまはない
母親と 二度と会えないことだけは つらい
この切断された 両足を見せることはできない
医療技術が発達して もう一度 足を取り戻せないか
生きているうちには 無理かもしれないな
【スタップ細胞は ありまーーーーーーーーーーーーす】
小保方晴子さんに 頑張ってもらうしかない
●笹井教授の自死
小保方氏を指導する立場であった 笹井芳樹氏
Nature 誌の STAP論文共著者の一人
主著者は 小保方晴子氏
ES細胞 神経細胞研究で世界的な名声のあった 笹井氏
52歳という若さで 犠牲になった
マスコミにも かなりの責任があるのではないか
執拗で悪意のある報道で 彼を追い込んだのではないか
理化学研究所 CDBの笹井芳樹副センター長を自殺に駆り立てた
階段の手すりに ひっかけたひもで首をつった状態で発見
そばには 遺書が3通あった