報道の具体的なありかた | 不定期刊行 我侭ブログ

報道の具体的なありかた

報道の具体的なありかた、それは前回も書きましたが、ズバリ「既成事実のみの報道」でしょう。

ニュースキャスターは事件の在りのままを伝え、コメンテーターは事件の補足と専門用語の解説のみに徹するという事が、本来の報道のありかたではないでしょうか。

では、評論家をはじめとするマスコミが個人的見解を電波に乗せるのは、どういった形で行うか、それはやはり「討論形式」で行うべきだと思います。

それも出来れば、司会者が報道関係者ではなく、タレントで司会業が板についていない感じの人物がよいと思います。

何故なら、たまに深夜に流れている討論番組などは、明らかに司会者の思惑が入り、司会者の思考に添わせる見解に持ち込もうとしているのが、露骨です。

それに比べ、同じ放送局の月曜九時から流れている番組は、少しおちゃらけていますが、司会者?が議論が白熱すると茶々をいれる程度で相対性があると同時に、視聴者目線の発言が政治家達にぶつけられており、更に、与党・野党共に、それぞれの内情が見え隠れするところが、非常におもしろいと思います。

あれだけ本音に近い政治家や評論家の発言が聞けるのは、この番組以外にはないのではないでしょうか。

さすがに長寿番組だけあると共に、これだけ多くの出演した政治家を、桧舞台から葬り去った番組もないでしょう。

まぁ、他に挙げれば、爆笑○題が日曜の朝にやっている番組がやや近いかもしれません。

前述した深夜の討論番組の他に、この番組の司会者は日曜の朝にも少人数でこれに近い番組を持っているが、これは少人数だけあって、更に司会者の論理を押し付ける形になっているように見えます。

更に言うなら、最近お亡くなりになられた方を言うのも何なのですが、個人的見解をニュースの中でコーナーをつくってやっていました。(これは、問いかける形だったが、個人的見解をハッキリ発言する場面が多々あった)

そして何と言っても一番ひどいのが、「みのもんた」だ!

恐らく、本人は報道のつもりはなく、ワイドショーのつもりでやっているんだろうが、余りにも酷い!

自分が一番頭にきたのが、「耐震偽装問題」の時である。

自分は、建築関係の仕事についているので、この事件は当時、意識して各番組を見ていました。

当時から業界に携わっている人間として、この事件の取り扱い方には疑問を持っていたのですが、相も変わらず、奴はこの事件の中心人物のひとりであった、姉歯氏を連日こき下ろしていました。

「姉歯には愛人がいた」「一級建築士としてのモラルがない」など、奴の思いつく限りの言葉で姉歯氏を罵り、それに乗っかってコメンテーターも同じように姉歯氏を貶めていました。

そしてある日、姉歯氏の病床の妻が自殺しました。

その翌日のみのもんた、180度発言をひっくり返して、姉歯氏に同情の言葉をかけてやがりました!

この風見鶏的姿勢を、TV局も恥ずかしげもなく放送し、コメンテーターはダンマリを決め込む始末。

一体、どうすればこれだけ恥知らずになれるのでしょう。

勿論、ニュースキャスターも人間である限りは、間違いはあるでしょう。

それを責めるつもりはありませんが、みのもんたは番組中、一切、謝罪はありませんでした。

これだけの情報社会になり、みのもんたも結構な年齢です。

確かに事件が起こるたびに知識を俄かに叩き込み、事実を歪めない見解を発言するのは、彼じゃなくても、至難の業だと思います。

人によって受け取り方も違うのは当然ですし、100点満点の回答を常時出来る

人間など、この世の中に存在する訳がありません。

だからこそ、ニュースは既成事実のみの報道に徹し、個人的見解は討論形式の番組で発言し、見解に相対性を持たせるべきだと思うのです。

そして事件への見解は、各視聴者の判断に委ねるべきなのです。

自分でなくとも、マスコミの報道の犠牲者が姉歯氏の妻君だけではない事は、想像に難くないでしょう。

「耐震偽装問題」については、機会があればこのブログで後日書きたいと思っておりますが、昨今、人々の「モラルの低下」を連日テレビで騒いでおりますが、まずは、マスコミ関係者から襟元を正すべきではないでしょうか。

次回はその、「モラル」について書きたいと思います。