9年
もう9年が経つんですね。
まだ9年かな。
今はコロナウィルスでいっぱいになってしまいますが、やはり絶対に忘れてはいけない日。
TBSラジオ954情報キャスターだった当時の私は、『森本毅郞スタンバイ』"現場にアタック"の取材中でした。場所は東京ビッグサイト。
照明展!?の取材中でした。
照明がたくさん展示してあったので、揺れ始めたときに音で異変を感じました。
すぐに取り出したのは携帯ラジオでした。
只事ではないことはすぐにわかりました。
ラジオで情報を聞きつつ、外へ出て、一緒に取材をしていたディレクターさんと、2人ですぐそばの火災現場の状況をリポートすべく向かいました。
ところが、ヘルメットも何もつけていない私たちは現場に近付くこともできず、遠くから見つめるばかり。。そして何より携帯電話が通じなかったからリポートもなにもできませんでした。
できる限りの情報を集めながら、公衆電話を探し、ラジオの情報センターへ報告。外の様子を特番の中でリポートしました。
レインボーブリッジは封鎖され、お台場地区は陸の孤島と化していました。徒歩で都心へ向かうしかなく、何時間もかけてTBSへ戻りました。
公衆電話は長蛇の列。
列に並びながら順番を待ち短くリポート。原稿なんて作っていられないので見てきたことや周りの様子をとにかく落ち着いて伝えるように心がけました。
局に着いたのはもう日が暮れたあとでした。様子がわかればわかるほど背筋が凍る思いでした。
夜になってもう一度赤坂の街にでてみると、近くの外堀通りが大渋滞。銀座から溜池山王まで数時間かかるという渋滞。(通常20分もあれば着く距離です)
深夜一人暮しをしていたマンションに戻ると、大きな家具や冷蔵庫が動いて、驚きました。
地震後すぐに東北へ取材に行った記者さんが、数日!?数週間して戻ってきたときのあの顔は忘れられません。人が変わってしまったようでした。
凄まじい状況だったんだと。
いきなり何もかも奪われてしまった方もたくさんいらっしゃる。今も尚、通常の暮らしには戻れていない方もいらっしゃる。
どこにもぶつけられない感情の行き場はどうしたらいいんでしょう。
きっと前を向いて進んでいくしかないんですよね。
私が体験したことなんてたいしたことはなく、地震のことを語ってはいけないと思っていましたが、記しておきたく久しぶりにブログ更新しました。(長文失礼しました)
決して忘れることなく、いまある毎日に感謝して生きていこうと思わせてくれる日でもあります。
防災グッズなど備えも見直さねば。