ご無沙汰しています。

今年の4月から、年少さん~小学生のための子育てサポートルームさぽっとを運営しています。

 

さぽっとは、従来からの育脳寺子屋コースを発展的に解消し、育脳と知育を中心とした考えることのできる子供たちを育てることを目標とした新しい試みです。

 

A君は、勉強が苦手な小学生です。漢字テストをするだけで、「疲れた、疲れた。」が口ぐせでした。

そこで、上のような漢字テストをちょっと変えてみました。

 

すると、漢字テストにかかる時間が短くなり、「疲れた。」と言わなくなりました。

疲れるのは、本人にとって位置関係の把握に努力が必要だったからのようです。

 

思わぬところで、学習効果が表れることがあると気づかされた出来事でした。

 

 プログラミング教育が始まると聞いて、なにかとんでもない恐ろしく難しいものが始まると思っていませんか?

 

 今までも、中学校の技術で、簡単なプログラミングについての授業が行われてきました。

 それが、小学校に下りてきますが、プログラミングの言語を学ぶわけではありません。

 

 私たちの時代には、もちろんプログラミングの授業などありませんでしたが、プログラマーやシステムエンジニアになった同級生がいます。

 文部省のホームページも見ましたが、それほど専門的なことが扱われるわけではないので、心配には当たらないと思います。

 

 家庭でできるプログラミング思考の育て方。

 

 プログラミング思考とは、簡単に言うと「段取りを考える」ことです。

 

 料理を作るときの段取りを考えるのも立派なプログラミング思考です。

 

 どんな料理を作るかを決めるときには情報を集め判断します。

 例えば「最近何を食べたか」「暑いか涼しいか」「栄養に偏りがないか」「材料があるか」など。

 作る料理が決まったら、材料をそろえる必要があります。

 「買い物に行く必要があるか」の判断が必要です。

 必要な品物によって店が違います。選択することになります。

 もし、売っていなかったら、別の店で探します。 繰り返しですね。

 

 ここに出てきた、「情報を集める」「判断」「選択」「繰り返し」などがプログラミング思考でも求められます。

 

 「一緒に明日の夕食を考える。」ことでもプログラミング思考が育つのです。

 

 また、ジグソーパズルなどでも「どうすれば効率よく完成できるかの手順を考える」ことがプログラミング思考につながります。

 

 何より、日々の行動を指示されるばかりでは、プログラミング思考は育ちません。

 

 育脳教室では、子供たちが、どんな順番で課題を進めるかを自分で決めています。

 子育てサポートルームには、パズルやブロックを置いています。

 

 自分で段取りを考えて行動させることが、プログラミング思考を育てるカギになります。

 前回プリント授業形式の塾に関して厳しいことを書いてしまいました。

 

 私は、プリント授業の教室の元となる考え方には大いに共感する部分があります

 「誰でも無理なく・スモールステップで・自分のペースで・幼児から高校生まで学習できる。」というのは、本当に優れた教材だと思うのです。

 

 さて、子供を教室に通わせる目的はどのようなものでしょうか。

 一言で言って「子どものため」です。

 子どもに計算スキルなどを身に着けさせるためだと思うのです。教室に通わせるのは、そのための手段だと思うのです。

 それが、いつの間にか、教室での成績を上げるために教室に通うことになっているとしたら、手段が目的化してしまっています。

 

 学校に子供を通わせるのも「子どものため」です。まず、受け入れる学校側がそのことをはっきり意識する必要があると思います。

 

 子どもの学力は、公正に評価されるべきだと思います。「過去に出題されたテストプリントを手に入れたものが高評価を受ける」とすれば、その評価法は正しくないと考える必要があるのではないでしょうか。(現に、地元の中学では、毎年定期テストの問題を変更するようになりました。)

 

 前回、激しく話が脱線してしまったので、もう一度「宿題―これでいいのかな」について考えたいと思います。

 

 さて、宿題はなぜ必要なのでしょうか?

 

 学習内容を定着させるため。

 学習習慣をつけるため。

 

 すべてとは申しませんが、学習塾で宿題を出す目的はある意味はっきりとしています。

 成績が伸びない人に対して、「宿題をしていないからだ。」と言い逃れするためです。

 

 さて学校の宿題についてですが、学校が子どものためにあるなら、勉強嫌いの子供を大量に生み出す一律で共通な宿題は廃止するべきです。

 

 保護者の皆さんの中で、「子どもはしっかり躾けなければ、勉強をしない」と考える方がおられれば、それはきっと「宿題の犠牲者」でしょう。嫌々宿題をしていたので、いつの間にか勉強嫌いになってしまったのではありませんか?

 

 強制されると、自律学習の習慣が身につきません。

 「考えることが楽しい」と感じられると、勉強が好きになります。子どもは、本来頭を使うことが好きなのです。

 

 

 

 

 前回のブログ「宿題ー今のままでいいのかな」に多くの「いいね」をいただきました。ありがとうございます。

 

育脳寺子屋の本部教室から毎月一回「MAC NEWS」が送られてきます。最新号「2019年6月号」で千代田区麹町中学校の校長、工藤勇一先生のことが紹介されていました。(興味のある方は育脳寺子屋の公式ホームページの最新情報「MAC NEWS~子育てのヒントに~」で読めます。)

 

 その中で工藤先生は「作業である宿題は必要ない」という考えから「段階的に宿題の全廃」に踏み切ったと書いてありました。

 ほかに定期試験の全廃(単元ごとのテスト小テストと範囲のない実力テストに変更)も紹介されていました。

 

 昨日も他の教室と掛け持ちで通っている小学校5年生の塾生が、本当に苦しそうに宿題プリントをしている姿を見て、こちらまで胸が締め付けられ、お母さんとお話ししたところです。算数(連立方程式)、英語(現在完了形)、国語のプリントを50分かけて完成させていましたが、苦しみながらこなした50分間で、本人がどれだけ成長したのでしょうか。

 どのプリントも、何度目かで国語のプリントは、本文を読まなくても答えを覚えてしまっていました。

 

 その姿を見ながらネットで「〇〇卒業」で検索したところ、首都圏の学習塾の指導について次のようなことが書かれていました。

 「定期テスト前には、付属教科を含めて過去問が用意されていて、転勤された教師がいる場合は、前任校のテストまで用意されていて効率よく学習ができた。」

 わたくしの塾の近くでも、テスト対策として各中学の過去問題を配る塾がありますが、さて、皆様はこれらのことをどのように考えられるでしょうか。

 

 私は定期テストをベースに内申点をつけるという今の制度を含め、学校教育の構造を根本から考え直すべき時期に来ていると思います。

 

 今回は他塾の批判になってしまいました。昨日の宿題事件?で感情的になってしまったのかもしれません。妻や娘からも、あまり他の批判はするなと忠告されているのですが。

 

 

 前回「不登校について思うこと」を書きました。その中で、「なぜ書字障害の子供に文書作成ソフトの使用が認められないのでしょうか。」「計算能力の不足している生徒に電卓を使わせないのでしょうか。」と書きました。

 

 この春から教明塾の「育脳寺子屋コース」はさぽっと育脳教室として生まれ変わりましたが、現在も小学生に対して宿題指導をしています。

 

 このあたりの小学生の宿題は「漢字ドリルをノートに写すこと」「計算ドリルや算数プリントを解くこと」がほとんどです。算数プリントは教師用に販売されている?ものが用いられているようです。

 

 この中で、漢字ドリルはほとんど作業になっています。写しながら漢字を覚えようとする意識の高い小学生はまずいません。計算ドリルはまだしも、算数プリントは計算と文章題の復習になっていて、できる子にとっては面倒なだけ、できない子供はサポートがなければ答えを埋めることが難しい。プリントをさせることに、どのような意味を見出せばよいのか途方に暮れてしまいます。驚いたことに「整数÷0」の問題が載っていたこともありました。

 

 同じ宿題を出し、みんな平等にと考えているとしたら、あまりにも安易すぎるのではないでしょうか。

 

 そこで、「なぜ計算能力の不足している生徒に電卓を使わせないのでしょうか。」という疑問に突き当たります。分数の計算はともかくとして、小学校時代に身につけさせている「計算スキル」は百均で売っている電卓一つあれば、すべて不要なスキルではないでしょうか 

 

 学校の授業で費やされる時間、宿題に費やされる時間、塾で消費される時間・・・計算スキルを身に着けるため(百均の電卓以下の能力を得るため)膨大な無駄な時間が消費されていませんか。(百均の電卓は平方根の計算もできますよね。

 

 どこかの私立中学の入試で、「電卓持ちこみ可」とすればよいのに、と考えるのは私だけでしょうか。