鎌倉日帰り旅の続き。
 
鶴岡八幡宮を出て、
源頼朝の墓があるという、法華堂跡地へ向かいます。
その道中でこんな石碑が!
畠山重忠!
重忠の屋敷跡ということですね。
鎌倉市内あちこち回ればそういうものがいろいろ残っているのかな。
観光ガイドにはもちろん載っていません。
 

 武士の鑑と言われた重忠。

その史実に基づき、大河ドラマでも、正々堂々と、華々しく散っていきましたね…。
「逃げる道理がなかったから逃げなかった、戦う道理がなかったから、兵を蓄えなかった」
苦渋の意で攻める北条義時と、晴れ晴れとした表情で抗戦する重忠…。
ドラマで畠山重忠を演じた中川大志くんカッコよかった…
 
 
 
ようやく法華堂跡へ。

人が一気に少なくなり、私たち以外に来ていたのは二組。
もう大河ドラマも終わったし、今どきこんなとこ来る人いないか~。
ここ、階段を上ります。結構な階段。
 
このあとも墓巡りしたんだけど、だいたい高台にあって階段上がらないといけない。
お空になった人だから、墓は標高高いところにつくるってのが主流なんですかネガティブはてなマーク
 
 
入口には頼朝墓、義時墓と書いてあるのだが、

頼朝の墓しかない…

義時の墓どこ?見逃してる?
とりあえず階段を下りてきて、お友だちがググる…
 
 
次の目的地へ歩いていて、
そして、見つけました。
このあたりのようです。
また、VRサイトの案内があって、お友だちがアクセスすると、
当時の法華堂が再現されたものが見られました。
 

義時墓跡を通り、
この写真の右手奥に見える階段…
そこの上が、大江広元の墓だと。
あと島津某の墓も。
すみません、歴史知識浅く、存じ上げません。長らく頼朝に仕えた御家人だそうです。
九州の島津氏って祖先はこちらの人らしいです。
 
また急な階段を上がりました。
もう足がガクガク、息ははぁはぁ上がるし、ボロボロです…えーん
 
写真の左が大江広元の墓、右が島津の墓。

実はこれ仕切りがあって、上がつながってない…。
私たちは左手の鳥居があるほうの階段上がって大江の墓に辿り着いたんだけど、
きちんと島津の墓にお参りしたければ、右の階段を上がらなければならないんです。
もう一往復する元気はないので、
島津氏には斜めからお参りしました。
 
ちなみにここは私たち以外に人っこ一人いませんでした真顔
 
 
お墓参りも無事終わり、
お腹もペコペコなので、昼食をと思い、鶴岡八幡宮へ戻り小町通りへ向かう。
11時半過ぎ、鶴岡八幡宮入口すごい人込み。
 
不安になって、すぐ目についたお店へ入り、昼食を取りました。
それは別のブログへ。
 
 
昼食後、小町通りをブラブラしようと思ったのですが、
「寿福寺→」の看板を見つけ、先に寿福寺へ向かいました。
 
 
寿福寺、落ち着いた雰囲気あります。
鎌倉五山第三位のお寺だとか。
政子が頼朝の霊を慰めるために発願し、臨済宗の僧によって創建されたそうです。
 
新緑が美しい。
鎌倉って本当に緑が多い土地ですね。
 
 
ただ、中は参拝できないです。
入口からお堂を撮りました。
鎌倉五山の第三位のお寺なのに、参拝できないんですね。
VRで見た法華堂と似た感じの建物ですね。
お手入れされていて、美しい庭です。
 
こちらもそんなに人は多くなく、私たちの他は2,3組。
そして奥に、政子と実朝の墓があるとのことで、うっそうとした森の中を奥まで進みます。
 
一人だったら昼間でも入るのもはばかれるような、薄暗い小道を進み、
奥は普通に一般の墓地。
 
どこにあるの~と突き当りまで行っては戻りと歩き回り、
ようやく見つけました。
 
ほんと小山のふもとという感じで、ほこらの中にありました。
 
写真は政子の墓。
 その横に実朝の墓はありました。
 
 
大河ドラマにもなったのだし、
もっとわかりやすく表示出したりしないのかな…と思ったのですが、
一般の墓地だし、あんまり観光客出入りしてほしくない気持ちがあるんでしょうね。
 
 
 
ということで、「鎌倉殿の13人」聖地巡礼(?)はこういう感じでした。
計画立てた段階では「佐助稲荷」も巡る予定にしていたのですが、
結構歩いて疲れ切っていたので、うっかり忘れていました。

佐助稲荷の存在は知っていたけど、
頼朝に由来のある神社とは、つい最近まで知らなかったです。
 
このあとは、また戻り、小町通りへ…。
 
(次のブログへ続く…)