園を訪ねる」



可也山と

引津湾の澄んだ青い海。











小富士梅林は、可也山の南南西斜面、1〜2合目あたりにあります。


今回は参加6人。


小富士の天満宮。




梅の開花は今年は少し遅いらしく、16日現在、2分咲き。




うまく撮れませんでしたが、ハゼの木にメジロ。


 

左手は弁天橋。

橋がなかった時代は渡し舟だったそう!



海が見える梅林。素晴らしい。

麻と木との社長さんや、地元の人たちが整備されているそうです。

有難いです。







「梅林を透かし見下ろす海の紺」

パンチキ(ぱんフレット。)さんのお祖父様の俳句だそう。





老木が多い様子なので少し心配。

(糸島市、無駄遣いを無くしてこういう所に援助してあげたら)






見事な枝垂れ梅を植えてある個人宅が多く

感動します。




小富士梅林を地域で盛り上げようという奉仕の精神を感じます。



改めて枝垂れ梅の美しさをしみじみと噛み締めました。


(南こうせつさんが、♪春になれば下がり梅の♪と歌ってらしたので、正しくは下がり梅?

と思ったのですが、やはり、枝垂れ梅が正解のようです。)












小富士梅林から、サンセットロードをぐるりと歩き、

船越の万葉の里公園へ向かいます。











引津湾の美しい澄んだ青い海の動画を是非見ていただきたいです。



(私は万葉の里公園に車を駐め、小富士梅林へ歩きましたので、その時の早朝の風景です)







綿積神社⛩

海の神。 牛馬安全の神。



白い木は、糸島市の花、ハマボウだそう。


桜の木もとても多いので、桜の花の時期にも訪れてみたい。






疫神社。

昔は 役神社 だったそうです。









遣新羅使の航路。

韓亭(現在は唐泊)だけでなく、引津亭や色々な所に停泊して風待ちしていたのでしょうか。

気の遠くなるような長い長い船旅です。






遣新羅使とは

wikiより。










遣新羅使の悲劇とは

「新修志摩町史」より









奈良時代の人々も、現在と同じように、外交と疫病に苦労していたのですね。




















イヌツゲの枝。



コウイカ漁に使うそうです。

(この枝にコウイカが卵を産む)







今回も感慨深い素晴らしい糸島の史跡歩きでした。











サンセットロードの浜辺で見た花。



ハマミズナ

でしょうか。

たくさん咲いていました。
















次回は桜満開の時期の史跡歩きの予定。

楽しみです。