家族がコロナ濃厚接触者になっちまいまして、、わたしも感染しちゃう可能性あるので、ブログの更新が滞っちゃったら、すみません。。と先にアナウンスしておきます。船間ゆるりです。大丈夫だといいのですがね。。

 

(皆さまもお気をつけくださいまし、と言いたいですが、、

気を付けようがないのがコロナちゃんだよね。。)

 

 

 

最近、自己肯定感に関する記事を綴っているので、

今日は人と人との境界線と絡めて記事にしてみました。

 

 

わたしは、人と人との境界線と自己肯定感というのが

深く関係していると考えていて、

 

自己肯定感の低さが人と人との境界線を曖昧にさせてしまう

原因のひとつと考えているのですよね。

 

(自分を見失っているような人も自己肯定感が低いに該当です)

 

 

 

 

自己肯定感が高い人ってメンタルが安定していて、

 

バランスを崩しにくい、という傾向があるのですが、

 

 

自己肯定感が低い人はメンタルが不安定になりやすい。

 

常に不安定みたいな人も居て、

バランスを崩しやすい傾向がある、といえるのですが、

 

 

例えるなら、

自己肯定感高い人は両足をがっちり床につけて立っているみたいなトナカイ

 

自己肯定感低い人は片足立ちしてたり、

片足つま先立ちして立っているみたいなバレエ

 

 

 

自己肯定感低い人はアンバランスでグラグラしやすいので、

立ち続けるの大変になってくるでしょう。

 

両足で立つよりもエネルギーを消耗して疲れるし、

ちょっと押されただけでも倒れやすいし、

立ち続けるために何かしら支えが必要になってくる。

 

 

自己肯定感が低い人全ての人に当てはまるわけではないと思うし、

度合いにも差があると思うのだけど、、

 

 

立ち続けるために他者に依存して、支えてもらっていることがあるのです。

 

 

例えば、

 

他者に肯定されないと自分を肯定できない

 

他者をマウントすることでしか自分が優れていると感じられない

 

他者を否定することでしか自分が正しいと思えない

 

正しいとされている振る舞いをしていないと安心できない

 

他者の役に立っている自分じゃないと自分に価値があると思えない

 

その逆で、他者に尽くさせることで自分の価値を認識している

 

とか

 

 

他者とのコミュニケーションが自己肯定感を高める為のものになっていたり、

 

自己肯定する為の人間関係になっていたり、、

 

 

自分が自分を肯定できない分、

他者からの肯定を求め過ぎる現象が起きてしまう。

 

 

他者に自己肯定を求めている構図になっているので、

他者込みで自分になる。

 

境界線が保ちにくくなってくる。。

 

 

自分で自己肯定できるようになれば

他者から肯定を多くたくさんされなくても

メンタルが安定できるようになる飛び出すハート

 

境界線もできてくる飛び出すハート

 

やっぱりそっちのほうが楽なのですよね昇天

 

 

 

我が家の境界線ない人たち結構こんな傾向があるのよ。。

 

 

無自覚的に、藁にもすがる必死な気持ちで、

そういうことをしてしまっているというか。。

 

自覚できてもなかなか辞められなかったりもする。。

 

自己肯定感低いととにかく苦しいので、

自分を安定させる術がそれしか見出せないのです。

 

自己肯定っていう選択肢が自分の中に存在しないから。。

 

 

 

他者の意見に関係なく、わたしはわたしでいい

 

わたしには優れているところも劣っているところもどっちもあっていい

 

わたしの正義もあの人の正義もどっちも存在していい

 

いつも正しくなくていい、間違えてもいい

 

他者の役に立てなくても他者に尽くされなくても、わたしには価値がある

 

 

 

自己肯定感が育まれてくると、

境界線だけじゃなく、エネルギーの消耗が減るし、

気持ちに余裕も生まれるし、他者にもやさしくなれるし、

 

エネルギーの使い方も変わって色んなことが改善されていくので、

わたしは自己肯定感を全力で推しておりますよラブ

 

 

 

本日のまとめ:

自己肯定を他者に求め過ぎると他者に依存的になり、

境界線が保ちにくくなる。(他者込みで自分)

 

自己肯定感で人と人との境界線ができる。

 

 

船間ゆるり