土俵上での勇ましい照ノ富士を見られただけでも嬉しかったですが、、
優勝インタビュー見て目頭が熱くなってしまった船間ゆるりです。
大相撲のはなしでした。
今日は、前回の記事(自分への愛着)を綴っているとき、
ぱっと思ったことを記事にします
自己肯定感が低く自己否定ばっかりしていて、
自分責めが辞められなかった頃と比べて変わったこと
というのが
どんなときも一貫して肯定の言葉と態度で
自分自身に接せられるようになった
ということだなって気付きました
周りに惑わされずに自分自身へ肯定を貫けるようになった、
って言葉にしたら解りやすいのかなぁ。。
(まぁ、でも、たまには盛大にやらかすときもあるので、
そのときは責めちゃうときもあるのだけど、、
理想通りにならないときも完璧じゃない自分も許す、
というのも自己肯定なので◎)
自己否定全盛期は、
自分への接し方が他者からの評価などに、
ものすご〜く左右されていたというか、、
周りの人たちからの評価とか、
世間の常識とか正義とか正解とか流行とか、
自分が思い通り予定通り理想通りにできなかったときとか、
そういうことに自分への接し方が左右されて否定的になり、
思い通りの自分で居ることができたら、やっと肯定できて。。
でも、思い通りにできることなんて一握りだったから、
否定することが圧倒的に多かったかなぁ。。
それがまるで、
自分が自分を従えているみたいだな。。って思ったのです。
自分をこき使って、無理させて、苦しめていたなって。
自己肯定に「自分(の気持ち)に寄り添う」っていうのがあるのだけど、
これと逆行しているかんじになっていたなぁって。
自分への接し方を、他者と自分との接し方に置き換えて例えてみたとして、
目の前の人の願いを叶えているときだけは、
その人がやさしくしてくれたり、優遇してくれるのに
叶えられなかったときに、否定されたり罵倒されたりして、冷遇されたら
えっ、、、ってなるし、傷付くし、
その人のことを信じられなくなってくるじゃないですか。。
その目の前の人がわたしのこと大切なのか、
わからなくなってくるじゃないですか。。
それを自分自身にしちゃっていたのだなって思いました。。
人にされて嫌ことは人にするなってよく聞くけども、
自分を大切にする指針として
人にされて嫌なことは自分にしたらイカンって
思っておくといいかもしれませぬ。
すごくたどたどしい文章になってしまった気がしますが、、
今回の記事でお伝えしたいことは、
言葉で、態度で、接し方で
わたしはわたしが大切だよ
わたしはわたしの味方だよ
わたしはわたしを認めているよ
わたしはわたしを見捨てないよ
と、ずっと伝え続けることで、
自分自身に受け入れられて
自分自身と信頼し合えて
自分自身に安心できて
自分との隔たりが薄くなって
自分への愛着が育っていくのかな、って思いました。
ということです
わたしもこれからもずっと続けていこうと思うよ。
命尽きるまで、命尽きても、魂だけの存在になっても、来世でも、ずっと。ずっと。
きっとそのくらい大切なことなのだと思います
本日のまとめ:
一貫して肯定の言葉、態度で自分へ接する(なるべく)
他人にされて嫌なことは自分にしない
船間ゆるり