3.11について考える日




今回は震災遺構を見るため、

野蒜(のびる)駅に向かいました。


あいにくの天気で石巻までは

行けませんでしたが、

松島周辺を回ったので、

まとめます。



 





 今回向かったのは、仙台近辺ではなく、

JR野蒜駅です。

ここは東松島市にあります。


東松島市は、

津波の被害が大きかった地域の1つです。


実は現在の駅舎は、

かつての野蒜駅とは

かなり離れた場所にあります。



 



 
現在の駅からの景色


まず駅の改札を出ると、
道路です。


 
現在の駅舎


道路を渡ると、
仮設住宅的な家が立ち並びます。

どの家も駅前の道路も真新しいです。
恐らく震災後に建ったものだろうと
伺わせます。

今回の目的地は、
震災復興伝承館という場所になります。

地図で見ると、道路側ではなく、
線路を挟んだ向こう側にあります。

向こうに行きたいのですが、踏切がなく。
駅の向こう側は山です。

ひとまず道路を渡り、歩道を進んで、
向こう側に行く方法を探します。

すると、
めちゃくちゃ長い階段がありました。







写真だと分かりづらいかもですが、
めっちゃ高い。

階段の横に、水を通す路がありますね。
見て分かる通り、
野蒜駅は、すごく高台にあるのです。

これを降りて道路横の歩道を進んでいく。


 

下には、キボッチャという施設が。
廃統合した小学校を活用した、

子ども向けの遊具施設のような場所です。


そこからさらにまっすぐ長いこと歩くと

運動公園があり、


さらに進んでいくと

東名運河があります。


 

写真は公式のライブカメラ(笑)


話が少し逸れますが、

宮城には貞山堀、

あるいは貞山運河と呼ばれるものがあります。


これは伊達政宗公が晩年に命じ、

江戸~明治にかけて完成した運河です。


仙台湾に沿って通っている水路で、

全長49kmとも言われ、

おそらく日本最大の運河です。

陸路が発達する前は、

こちらで運輸を担っていたということです。



※貞山運河と東名北上は歴史的背景が異なるようです


野蒜はこの地図の東名運河の辺りにある、

ということですね。


話を戻しますが、

道路を挟んだ向こう側に

東名運河があり、

それに沿って歩いていくと、

目的地の伝承館に着きました。



 

旧野蒜駅

伝承館には、

かつての駅舎が残されています。

外からも見えますが、

伝承館から駅舎の中に入ることもできます。



 

震災復興伝承館


伝承館に入ると、まず2階に促されます。


順路通り進むと、

階段の2階の辺りにラインがあります。

津波到達地点。ここまで津波が来た、と。


津波は0.3m以上で死者が出て、

1mで死亡率100%と言われています。

野蒜駅は3.7mの津波が襲いました。

絶望感が伝わります。


2階に上がると、

津波にあった改札の機械があったり。

そして震災について1から詳しく

説明がなされています。


いつ、どんなことが起きたのか。

どんな被害だったのか。

実際の映像も置かれています。


そして中ではシアターとして、

被害に合われた方の言葉が流れています。


「津波は1時間以上何度も何度も来た。」

「津波から逃げたら反対側からも津波が来て

挟まれてしまった。」

「閉めた屋内にも水が入り、机を2段タワーのようにして高所を作ってそこに皆で立った」

「濡れると低体温症が危険」

「助けに行った子どもは避難していたのに

助けに行った親が亡くなった。

あの時怒って止めていたら…」


1階も含めて全体を拝見しましたが、

すごくつらいですね。

生き残った人も、身近な誰かを失っている。

無事だった人などいないのです。


バルコニーに出ると、

駅舎に避難した人たちの話があります。


駅舎の人達は、

バルコニーに机を置いて、

そこから屋上に逃げて生き延びたようです。


そして反対側に、できたばかりのものが。






屋上に避難するためのハシゴです。

3階までしかハシゴはつけられない

ようですが、2階建なので◎です。


震災を受けて、

避難できる仕組みを用意したようですね。


ここで働く人の安全を、

ちゃんと考えているようです。


そして1階の展示で、あらゆる謎が解けます。


高台移転計画について、

工事の図面的に説明されています。



 

震災前


 
震災後浸水の様子

 
震災後山の開拓・移転


今の野蒜駅は、

震災で元の駅が被災したことで、

高台に移転したのですが、




駅近くの川のようなものが東名運河です


 

山の上側が駅です


移転場所は山を開いたようですね。

そしてそこに駅舎だけでなく、

沿岸部の住人まるごと移動したようです。


そのため踏切なんてあるわけもなく、

線路の反対は開いてない山。

そして駅の周りに

仮設住宅が並んでいたんです。


階段に水路が用意されていたのも、

津波の対策を兼ねているのでしょう。


来る途中の駅でも、窓から似た階段を見たので

沿岸部ではそういうケースが他にも

あるんでしょうね。




なんだか話がまとまっていませんが、

今回この駅に訪れたのは、

もう1つ書きたかったことが

あるからだったりします。


それは、東名運河や貞山運河の美しさです。


 

震災前の貞山運河



 
震災後


今では見る影もなく茶色い土手です。

でも確かに、そこに自然豊かな運河が

あったんです。


失われてしまった悲しさというよりは、

かつてそういうすごいものがあったことを、

多くの人に知って欲しいです。


形あるものは消えるとしても

誰かに覚えていて欲しいです。


約400年の歴史を持つ、日本一の運河。

すごく綺麗な場所があったんです。


実は自分も、本物を見たことがありません。

それでもそこが美しいことは、

忘れたくありません。




野蒜駅の観光の後、

野蒜でお昼を食べてから、

松島に行きました。


東松島は海苔が有名らしく、

海苔うどんというものが名物だそうですニコニコ

おぬぬめですよだれ


宮城は聞いたことない食べ物が

たくさんあって良いです。



松島海岸駅へ





松島につく頃にはかなりの雨が。

瑞巌寺を見てきました。


ちなみにおみくじは吉でした。

願い叶うっぽいです。

中日優勝すんの!?


あと、夕飯には利久のお弁当を購入。

その場で作ってくれるのが良いですね。


今朝驚いたんですが、

牛タンには美肌効果があるんですね。

今朝から無駄に肌がツヤツヤです爆笑



そして体力が無く疲れが来ていたので、

5時頃に仙台から帰りました。



まとめ



野蒜駅は被害にあって終わりではなく、

その後どう対策してどうして行くのか

そういうところに意識が向いていますね。


駅舎が移転したことで、

今後はその高台に逃げることもできます。


逆に、私達の街の方が

対策できていないかもしれませんね。

沿岸部の人は、

何か対策をした方がいいかもしれません。


シアターで流れていた言葉と、

被害にあった人のメモが印象的です。


『津波にあったらとにかく戻るな

戻った人は皆死んだ。』


『日頃から避難のルートを

用意しておいた方がいい』



日本国内、いつ災害が起きるか分かりません。

伝承館や震災遺構では、

災害で本当に辛い思いをした人が、

同じ思いをして欲しくないと

情報をまとめてくれています。


ガソリンに困ること、

電気やライフラインが止まると

防寒や水に本当に困ること。


そうしたことを知って、

私達も今後の未来に、

しっかり活かしていきたいですね。


彼らの言葉を無駄にしないように。

そして彼らを見習って、

防災について考えておきたいです。


今回は野蒜駅。

今後石巻や気仙沼、

その他地域にも訪れたいと思っています。


皆さんも一度、

東北に訪れてみてはいかがでしょうか。



 

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