先日話した、プラスの働きと、マイナスの働きのバランスについて、気づいたことがあったので、書き残しておこうと思います。


まず、プラスもマイナスも、どちらかが強すぎると、支配になり、依存にもなります。支配と依存は裏表、紙一重なのです。


プラスが強すぎる場合、それは上からの支配です。自分がいなければ相手は何もできない、ということが、どこかで嬉しいのです。あなたができないことをしてあげる、というのは、優しいように見えて、相手をどこかで見下しており、その相手の自立を阻みます。相手が自分に依存して、自分の思い通りになってくれないと、「どうして自分の言うことを聞かないんだ」と、相手を支配しようとします。自分からやっていることなのに、どこかで見返りを求めていて、恩着せがましいのです。何かをしてあげることで、相手から「すごい!」と持ち上げられたり、特別扱いされることを求めています。このような人達は、自己犠牲的で、幼児的な万能感が強く、根拠もなく「自分は全てを思い通りにできる」と思っています。無意識に、自分は相手より上の存在なのだから、相手は自分の言うことを聞くべき、自分に感謝してくれて、自分の自己愛(自尊心)を満たすべき、と思っているように見えます。小さな頃から親に依存されていて、相手を突き放す罪悪感によって、依存心の強い人と離れられない場合もあります。そういった人に責められた過去があり、いつも「自分が加害者になってしまうのではないか?」という、恐れを抱いている場合もあります。

支配欲の強い人は、どこかで自分の立場を、他人よりも上に置き、自分が相手よりも力があり、優れている、と思いたいのです。競争と、条件付きの承認の中で生きたことで、人よりできない自分を認められない。相手にマイナスを押し付けることで、自分は有能なんだ、と確認したい、そんな節があるように思います。相手を下げて自分の価値を上げようとしているので、相手からするととても自己中心的なのです。

これは自己愛の貧弱さや、自尊心の低さ、無条件の承認の欠如、依存的な誰かを助けてきたことで、自分の存在価値を感じてきた悲しい過去、常に役に立っていないと愛されなかった経験、できないことを親に強く否定された経験が、そうさせるのではないか?と思います。一見上に立っているようで、相手にこき使われて、自ら下に入っています。

プラスの働きが強すぎる人は、相手に依存され、頼られることに依存することで、自己愛を満たしているのです。


マイナスが強すぎる場合、それは下からの支配です。「私は自力では何もできないから、周りが、相手がどうにかしてくれるべき」「私、どうしたらいい?」「相手に何もしてもらえない私の方が被害者」という他力本願を、素でやっています。プラスが強い人に比べて、女性性が強かったり、精神年齢が低く、幼稚な人が多いです。相手が思い通りに、自分のやるべきことを代わりにやってくれたり、自分の責任を代わりにとってくれないと、「どうしてやってくれないの!」「あなたのせいよ!」と、相手を下から支配します。「私、困ってるんだけど」とふんぞり返り、「言わなくても、何が欲しいか分かってくれるべき」と受け身の姿勢で構えて、相手が自ら自分を助けてくれたり、動いたりしないと、理不尽に怒ったり、不機嫌になったりもします。

親に適切な愛情をもらえなかったので、大人になっても親代わりの誰かを求めて、他人に依存しようとします。依存を感じた相手が離れようとすると、「あの人は私に愛をくれなかった」と、被害者意識を持って攻撃します。場合によっては、「自分は理不尽に加害された」と、周りの人達に嘘をついてでも、見捨てられたことの同情を求めます。このような人達は、自分が被害者、下のポジションでいることに、メリットがあるのです。自分から支配的な人に擦り寄って、何かを代わりにやってもらう、安心させてもらう、というメリットを得ているくせに、「あいつに支配された!私は被害者だ!」と、自分の選択の結果であることを認めようとせず、他責します。これは自己効力感の低さであったり、かつて親に強く支配された経験や、愛情を与えられず、無視され続けた寂しさが、そうさせるのではないか?と思いました。かつて親に満たされなかった心を、他人を利用することで、満たそうとしているように見えるのです。一見下に立っているようで、相手をこき使って、自分が上に立っています。

マイナスの働きが強すぎる人は、自力で自分を満たすことができず、下さい、下さい!と一方的に相手に依存し、寄りかかることで、相手から愛情をゆすり取ろうとしているのです。


プラスとマイナスは、同じ強さで引き合うので、前者と後者はセットになって、くっついていることが多いものです。互いに依存心が強く、支配欲も強いのです。しかし、親の行いは、自分自身の行いです。支配的な親であれば、自分も支配的な親であったということ。無償の愛情を与えず、自分がもらいたい欲求が強い親であれば、それは自分が他者に愛情を与えず、ただもらいたい親であった、ということなのだと思います。そうならざるを得なかった事情や、コントロールできなかった過去、というのは、必ずあると思います。しかし現実は、自分で受け止め、自力で変えていくしかありません。


全てを他人のせいにしたり、誰かに依存したりせず、自分だけの責任を持って生きるということが、人生の道を切り拓くのだ、と、強くそう思います。極端に他人に頼らない、または頼りすぎるのではなく、相互依存のうえで、人間関係を築くことが大事なのだと思います。


(お察しの通り、私はプラスの支配が強いほうの人間です。実害があったので後者の方の描写に熱が入ってしまい、決めつけをお届けしてしまっていたら、申し訳ない限りです。)