お久しぶりです。ドキドキ

 

この所いろいろあって、書きたいことがあるのに暇があるとボーっとしてしまう。

人はこれを「疲れている状態ゲッソリ」と呼ぶ。的な感じで夏休みひまわりに突入しております。

 

 

えー、これまで、早期発見早期療育で手厚く支援して頂いていた長男。

「護送船団方式」は、どの他の本を読んで出てきた言葉か忘れてしまったのですが・・・。滝汗

とにかく、支援を学校と交渉する時に「家族VS学校」という構造を作らない

「福祉相談支援者・医師複数・デイサービスの担当者・自閉症専門家・保護者のメンタルケアとしてのカウンセラー」など

相談先を複数持ち、中心にある被護送船(息子)目的地(自立)へたどり着くまでの防護壁を作るやり方です。

これを1年生の時から取り入れて、4年生になって非常にいい感じで学校に通えています。ラブ

 

 

平たくまとめてしまうと、、、

「うちはこういう感じでやってます~」

と1年生から交渉し始めて、4年生くらいになると本人に合った支援が整ってきたといった感じです。

 

ですので、学校と家庭とで支援の歩幅をすり合わす作業に丸3年かかったという事になります。

どんだけ~上差しキラキラ

 

虹虹虹虹虹虹虹虹

 

よく、ASD保護者界隈である話には、

先生(文部科学省の教員試験のみの教育方針の先生)よりも親の方が支援に詳しい。

特別支援教育の先生だと、支援方針の違いで子供が混乱する。

というのがあります。

 

 

私はつい戦争に例えてしまうのですが、

支援学級に通っている子は「前線」で戦っている状態です。

特に通級指導は「潜入作戦」状態。

わが子の発達を心配する親はきっと「目立つと殺される」くらいの気持ちでいらっしゃることでしょう。

お母さんが子供のフォローを必死でする話は美談として語られています。

 

 

つまり、お母さんのフォローなしには自立生活ができない状態を訓練している。という事になりますね。滝汗

 

自立した状態を訓練するためには

苦手な部分(明日の準備だったら→置き勉で鉛筆削りのみ・宿題→いつも同じ量で得意な事)は調整して

「できたー!」を体感する経験を身に着ける。
家庭では穏やかに過ごして、明日は学校へ行って社会的活動をしよう(労働意欲)」と思える習慣を継続するです。

 

では、それをどうやって学校と交渉するのか・・・

ご興味ある方は続きをお読みくださいねキラキラ

ちなみに、これが正解というわけではありませんので、あくまでもご参考にです。

100人いれば100通りのやり方があるという事で・・・口笛

 

 

 

 

 

 

チーンチーンチーンチーンチーンチーンチーン

さて、お恥ずかしながら自分の交渉方法を公開いたします。

以下のマーカー部分が私の支援のすり合わせをするときに話す流れです。

 

 

 

学校は社会性を身に着けるところだと思っています。

勉強は情動が安定していないと脳の神経が発達しない(ポリヴェーガル理論:エビデンス有)ので情動が安定していない状態での”勉強の遅れ”の心配は、あまり意味がないと思っています。」

(↑母ちゃんいったん落ち着こう。ここ発達障害ビジネス「できる!なおる!」のうまみですよー。カモにならいでねー。)

 

 

「ASDの特性として、”ちゃんとしたい”というのがあります。入れ子の箱に例えられるのですが、一つ入れる順番を間違えると元に戻すまで混乱しがちです。」

(↑特性の一つとして一つ一つの関わりにオチを付けないと、ずっと気になってしまうというのがあります。一度引っかかると先に進めなくなってグルグルします。オチをつける習慣のない先生もいるので、先生の特性もよく見ましょう。先生を休職に追い込むのは誰も特になりません。その後の支援がうまくいかなくなります。心理学でいうと外向性内向性の部分です。ASDとADHDも似ています。ADHDのお母さんとASDの子供は相性が悪いです。)

 

 

「学校って楽しいな。毎日行きたいな。お友達っていいな。みんなと一緒にいたいな。

と思えるかどうかが、今後成長していく段階で社会に入れるかどうかにかかわってきます。現状としてここに躓いている人がたくさんいらっしゃいます。」

(↑ひきこもり80-50問題)

 

 

 

「僕はちゃんとできてるな。宿題もちゃんとできてるし。よし学校へ行こう!」という気持ちになって初めて、「今日は何をするのかな?先生のお話聞いてみよう。」という気持ちになると思っています。自己成長欲求という、成長したいという気持ちを子供はみんな持っているとされています。」

(↑後でお願いする配慮が合理的である事の念押し)

 

 

「苦手な部分は調整して( 明日の準備だったら → 置き勉で鉛筆削りのみ ・ 宿題だったら → いつも同じ量(超少ない)で得意な事 ) 「できた!」を体感する経験を身に着けて欲しいです。

家庭では穏やかに過ごして、学校へ行って社会的活動をしようと思える習慣作りご協力をお願いしたいです。」

(↑先生にも指導方針を決める権利があります。お願いするスタンスです。)

 

 

 

チーンチーンチーンチーンチーンチーンチーン

 

 

 

文章にするとこんな感じですが、学校の先生を捕まえてこの話を通しでできたことはありません笑い泣き

先生はとても忙しいので、何度も同じ話になることがあります。関わりのある違う先生にも同じ話をします。もはや辻説法状態

場合によっては、事例を出して詳しく話します。

 

 

先生方は大学で勉強した学校教育の規定があるので、そことどう折り合うかが非常に難しいのです。

そうなってくると、一般の企業とのやり取りにある「上の人呼んでください状態」

先生は一生懸命お仕事なさっているので、先生の評価を傷つけるような逸脱した行為を強要しているとなってはいけませんしねアセアセ

 

 

贔屓を強要していると取られてしまった場合は、私の言い方が失敗したと思いますえーん

合理的配慮の範囲で、教育的機会を保つために必要なメガネ(よく出る例え:視力の悪い人がメガネをかけるのは贔屓か論)である。と理解していただく努力のような感じです。

 

 

ここまで持ってくれば、「障害者差別解消法(改正2021)」で義務化している上に、護送船団方式で社会の目も入っていて客観的に見て必要な配慮であるという事が証明されているので、出るとこ出れる状態と思っています。まぁそこまでやったことないから知らんけど汗

 

 

信頼している護送船団に「それはやりすぎじゃないですか?」と言われたときは、素直にカウンセラーに愚痴りに行く

そして、家族の問題について見つめなおす(学校での問題ではなく、家族の問題で子育てが難しい状態ではないか?と検討しなおす。)

発達障害の問題は複雑に絡み合っているから、客観性を失うととても痛いゲロー

うっかり身近なママ友や親族に相談して、返し刀の深手を負うと辛いのでプロに頼る様にしています。年取ると同じような思考の人とつるみがちだし、違う視点の意見が出にくいと感じてます。重い事案にアドバイスを求められても「大変だね。頑張って!」としか言えないですよね・・・。

 

 

 

とまぁ、サザエさんどんだけ~上差し!!なんですが、

 

そこまでしなくても・・・。頑張りすぎではないですか?

は、よく言われます。

 

確かに疲れるのですが、

これをすることで、「行ってきまーす! からの ただいまー!」の生活に近づいてきました。

ですので、一般的な合理的配慮だと思うのです。

 

 

「穏やかな日がないのが普通」・・・「いろいろあるのが子育て」・・・

と、これもまた真実なんですよね。

普段、プロに聞いてもらっているので、その時は真剣に「傾聴」します。

その方もきっと同じ思いを抱えて耐えているのだから・・・。

 

 

world peace

世界が平和でありますように ラブラブ