最も古い資料かな
「手品トハ手練ニ依 テ瞬時ニ品物變化 セシムル術云其起源詳ナラズ」
美濃國岐阜の人に瀧野正藏と言う者あり、弟子も数多くありて‥すなわち営業にせしといえば即のちにて手品師のハジメとスベシ
正あと瀧川正太と改む
他には
皇極天皇、大臣鎌足の頃に早瀬左近と言うものアリと記録が
記述を読むと、演技は「落下の舞」である事が読み取れます。
この古事で 手品や手術(てづま)と言う言葉が起源として使われてます^ ^
文化芸術の捏造にならない様にもう少し調査必要です。歴史を追求すると時代背景上どうしても政治や人種‥宗教‥身分や差別などデリケートな問題も多々出てくるので気を付け扱わないといけないのかも知れません。
昔し関西には、4万人もの異国人が住んでいた⁇
関西弁「もうかりまっか」の言葉の由来⁇
関西の歴史凄いですよ
水芸を作り上げたのは竹田絡繰の竹田近江や東芝の創業者田中近江など沢山の絡繰師が関わっています。当時の技術者職人、商人まさに天下の台所大阪。今は天下の台所の意味合いが変わってしまいましたが、安くて良い物をや勿体無いの精神が読み取れる。
滋賀、京都、大阪、奈良と都と文化芸術の反映もう少し調べてまとめて見ます。
もう少し後の時代、オランダの宣教師が持ち込んだら奇術についての資料も出て来ました。昔の航路や外交を調査したらまだまだ新しい発見も出て来てます